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そこに立ってた

──このカップを洗ったら洗濯を干して、犬にご飯をあげよう。まてまて、今日の午後は天気どうなるんだ?

てなことを考えながら、シンクに仁王立ちしてジャブジャブと洗い物をしていた。洗い物をする時、私はほぼほぼBluetoothスピーカーで音楽を聴いている。だけど、たまたま静かな部屋で洗っていた。だから、玄関の音に気がつくことができた。

カチャ。
カラカラ。
トントン。

──え?サムさん(夫)かな〜?

人の気配がしたので振り返ると、そこには娘のハトちゃんがいた。私がさっき車で送って小学校の門に降ろしてきたはずの、

ハトちゃんが立ってた。

キラキラした目をして、笑っている。
小鼻は膨らんでいる。
上気した頬。
「ハトちゃん、忘れ物しちゃった。取りに帰って来たの」
「ひとりで!?」
「ひとりで(ドヤァ)!」
私は足元から崩れて座り込んでしまった。動揺を悟られないように、しゃがんだままハトちゃんをギュッと抱きしめた。
「・・・偉かったね」
「ふふふ」
ハトちゃんの背中は、走ってきたからか大きく上下していて、興奮が伝わってきた。温かい背中からは外の匂いがした。
「踏切、大丈夫だったの?怖くなかった?」
「うん。ちょうど何も通ってなかったよ」
「そう。これからは、学校から戻る時は先生に言ってからにしようね」
やっとそう言うと、私は、ハトちゃんの頭をグリグリと撫でた。
「じゃ、また車で送っていくよ!」
私とハトちゃんは、もう一度、学校へ向かった。

🚃

車を運転しながら、私の頭は高速回転していた。

ハトちゃんは、小学校の6年間、一度も登校したことがない。

(上記のように書くと誤解を受けそうだ。
書き換えるとするなら、皆さんが一般的な朝の風景として思い浮かべになる「登校」を、ハトちゃんはしたことがない。児童だけで連れだって、学校に向かって歩いてゆく、それを「登校」というのだとしたら、「登校」できなかったのだ)

小学校に上がる前、親子一緒に通学路を歩いて練習した。
何度も何度も。
早春の田んぼ道を歩いて。
ハトちゃんは、大体上機嫌で歩いている。でも、小さなお宮さんの角を曲がって見えてくる踏切を目にすると、だんだん緊張してくるのだった。
ハトちゃんには聴覚過敏の特性があって、音が大きく聞こえてしまう人だ。踏切を電車が通過する時の轟音は、耳に迫ってくると言う。電車が行ってしまうまでの時間が長く感じられて、堪えられないと。
朝の通学時間、電車は上下線で頻繁に通っていて遮断機が降りているところに遭遇することは多い。だから、敢えて、電車が通る時刻を選んで練習していた。それが、良くなかった。

「電車の音が怖い」がいつの日か「登校は怖い」になって、さらに「学校へ行くのが怖い」に繋がっていきそうだった。小学校に行くのは楽しみにしているようだった。だから私は、登校のストレスを減らすことを選んだ。車で送ることにしたのだ。

6年前のあの時の決断を私は反芻していた。

ハトちゃんは、本当は歩いて行きたかったのかなあ。お友達と連れだって行きたかったのかなあ。
子どもだけで登校した場合に、ハトちゃんは踏切でパニックになる可能性があった。彼女をなだめる役割をお友達に負わせるわけにはいかなかった。一緒に歩いて登校するやり方もあったかもしれないけれど、遠方まで通勤している私には朝に使える時間が恐ろしいくらいに少なかった。

あの頃と同じように、助手席にハトちゃんを乗せて運転する。本日2回目。くだんの踏切にさしかかった。ハトちゃんは、すっきりと前を向いて落ち着いている。
「もう、怖くないの?」
「ううん。やっぱり、電車が来たら耳をふさぐと思う」
「耳をふさいだらやり過ごせる?」
「分からない」
「そっか」

いつもの校門で、ハトちゃんをおろす。
助手席のガラス窓越しにいつものタッチをして、車を出した。バックミラーを覗くと、すらりと身長が伸びたハトちゃんは、いつまでもこちらに手を振ってくれていた。

心なしか、一回目のバイバイよりも大人びて見えた。

🚃


ハトちゃんは、このところずっとお友達にプレゼントするお人形を紙で工作していた。作りかけのそれを、家に忘れてきてしまって、衝動的に取りに帰ったのだと思う。
「お家にはお母さんがいる」
「もう一度学校へ行くときは送ってもらえる」
そういう安心感もあったのかもしれない。
学校から家へ歩いて行くとき、ハトちゃんはどんなにドキドキしただろうか。近づいてくる踏切には緊張したに違いない。でも、たまたま電車は来なくて、ホッと安堵したんだろうな。
その後、家までの道のりは、きっと、安心して歩いたはずだ。
レンゲ草の丸い葉っぱが茂るあぜ道。
苺のハウスから漏れてくる甘い香り。
頭の上から聞こえてくるカササギの声。
五感を澄ましてどんどん歩くハトちゃん。
私が心をくだく、心配でたまらない存在のハトちゃんは、春の陽光のなかで自由に楽しく歩けるのだ!

子どもって、こうやってある日突然に親の憂いを吹き飛ばして超えてゆくんだな…。
と思った三月の朝。

コエテユケ!
コエテユケ!

これからは、後ろから応援させてもらうわね。
切り拓くのはあなた。

ハトちゃん特製、ハギーワギー






ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。