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#8|空き家所有者の本音 〜空き家リノベが始まるまで〜 【空き家再生】

年々加速する空き家問題。

皆さんの家の近くにも「明らかに空き家だな」と分かる家もあれば、
「あれは人が住んでいるのか?」と微妙な家もあるはずです。

それらの家は存在して得することはあまりなく、
町の景観を損ねたり、犯罪の温床になったり
様々なデメリットをもたらしてしまいます。

つまり「空き家は一軒でも少ない方がいい」ということが言えます。

しかしそれらは空き家になるまでに様々な理由があり、なかなか簡単には解決できない切実な問題でもあります。

なぜそういったことになるのか、
僕自身が体験した空き家再生の課題を踏まえて考えていきます。



目に見えない心理的負荷

結論として言えることは、
『空き家を所有していること以上に、目に見えない心理的負荷がある』ということです。

分かりやすいのは“物体”として空き家を所有していることで、
固定資産税などの金銭的コストや物件の手入れをするための身体的コストがかかります。

これは実際空き家を維持するための実際アクションを起こす際に
必要なコスト・負荷です。

しかし実際ここに辿り着くまでは、大きなハードルがあります。

それが「心理的負荷」。
つまり空き家をなんとかしようとする“やる気”です。

心理的負荷とは、
その家を手放す勇気、過去の精算、空き家をどう処分しようか
などの心配事の数々です。

家という大きな買い物は買う時も大変ですが、
手放すのも簡単ではありません。

なぜそれが大きなハードルになるのか?

処分するのは家だけでなく思い出も


なぜならその家の「思い出」も清算しなければいけないから。

家というものはとても長い間、人が思いを込めて暮らしてきた空間です。
それが実家だったり、おじいちゃんおばあちゃんの家だったり、親戚の家だったり。

色々な“思い出”“思い入れのある品”“長年使った家具”など、
多くの時間を一緒に過ごしてきた大切なものがそのまま残っていることもあります。

それらはサクッと売り払い処分して、
空っぽにして「はい、バイバイ!」と、言える人の方が少ないのではないでしょうか?

自分の部屋を片付けている時に、
アルバムが出てきたら懐かしくなって
手をとめ見てしまう。

なんてことと同じくらい人は「思い出」の品を簡単に捨てることは難しいです。
それが高いお金をかけて作った「家」となると尚更です。

そして簡単に切れないモノはそこに住んでいた人との「関係」も同じです。

一棟目の空き家リノベをはじめるまで

具体的な話として、
僕が空き家を譲ってもらい空き家リノベをはじめるまでに
体験した大きなハードルの例を一つ。

1棟目に手がけた空き家再生は、僕の義父の叔母が暮らしていた家でした。
生前、ファッションが好きでいつも綺麗な身なりをしている方だったそうです。

旦那さんに先立たれ、1人でその家に暮らしながら
時たま百貨店へ赴き、買い物をするのが好きだったようです。

しかしそんな叔母が認知症にかかり、
進むにつれて家が片付けられなくなっていきました。

それでも好きな買い物は辞めれず、服を買っては着ずに家に溜めていき
足の踏み場もない状態になっていたそうです。

次第に家が荒れていったため、叔母は義父や知人を家に入れることをせず、
亡くなった後もしばらくその状態で空き家になっていました。

義父は叔母の家がそんな状態だったことにショックを受け、
家に立ち入ることすら億劫になっていきました。

その状態になったときに初めて僕は話を聞き、
手入れを申し出たが当初は「もう解体して更地にする」と断られてしまいました。

義父としては、大きな大きな心配事として心に大きくのしかかり、
「解体」をして早く消し去りたいと思っていました。

それは元気だったころの叔母を知っているからこそ、
綺麗だった姿と荒れ果てた家のギャップや負の遺産を残していることのショックを
大きく感じてしまっていることが、見て取れました。

そんな状態では「空き家をなんとかしよう」といつやる気はなかなか起きませんよね。

そんな空き家に対するマイナスな気持ちを「解体」することで綺麗さっぱりなくなるのか?
義父はその解体コスト(安くても100〜200万円)を負担する意味があるか?

そう感じた僕は、「片付けから全て行う」ことや今後の事業構想など粘り強い説得により、リノベ賃貸物件という形に持っていくことができました。

義父の心理的負荷を少し分けてもらえた気がしました。

そして「関係性が良好な親族ですら、触れ難い問題がある」ことを
実感した機会でもありました。

空き家を増やさないために

日本中の空き家問題が簡単に片付かないことの一つに、
所有者が抱える「空き家との心理的負荷を伴った関係」が続いてるからだと
実体験を踏まえて感じました。 

この問題はおそらくもっと根本的に「空き家を増やさない」行動が必要で、
“終活”などに関わってきます。

人は亡くなれば家族が弔ってくれますが、
家は住まなくなれば朽ちていくだけです。

誰も気にはかけてもらえません。

家族に負の遺産を残さない、事前に家を処分できるように準備しておく、
元気なうちに家に対してできることをしておくことが
お世話になった家への恩返しかと僕は思います。

そして家を所有することの責任かと。

しかしそうなってしまった家が日本中にある以上、
僕はリノベーションで空き家を再生し、
必要な人へ届ける活動をしていきます。

具体的には365 WORKSで、
1. 地方の空き家をサルベージ(救出、利活用)
2. 古さを生かしたヴィンテージリノベ
3. デザイン賃貸、物件を探している人へ提供
これをメインの活動としています。


持ち主の心理的ハードルも含めて、根深い課題となっている「空き家」問題。

そこに加えて、地域ではクリエイター職などの人が暮らしたいと思える賃貸物件も不足していることに着目しました。

こういった活動をしていくことで、一軒でも空き家を減らし、
魅力的な家として必要な人のところへ渡すことが必要だと考えています。

今日は実体験を踏まえた、空き家再生の課題について考えてみました。

お読み頂きありがとうございました。

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