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70年以上隠蔽され続けた日本の秘密組織【ウマヅラビデオ】

1,000名を超える日本陸軍最大の研究機関である登戸研究所は、1939年に第9陸軍技術研究所として設立された。
しかし、その存在は70年近くも秘密のベールに包まれていた。
研究所では、新兵器の開発や、スパイを養成する陸軍中野学校への情報提供など、さまざまな研究が行われた。

登戸研究所の代表的なプロジェクトに「風船爆弾作戦」がある。
太平洋戦争中に開発された特殊兵器で、9,300発もの風船爆弾が放たれ、1,000発以上の爆弾がアメリカ大陸に着弾し、死者も出た。

研究所では、兵器の開発だけでなく、偽造権を使って法定通貨を崩壊させるという経済戦も行っていた。
陸軍は、戦争の行き詰まりをどう打開するかに頭を悩ませ、贋作権を使って法定通貨を崩壊させる計画を立てた。

登戸研究所のもう一つのプロジェクトは、強力なマイクロ波を放射する指向性エネルギー兵器の一種である「モンストレイ作戦」である。
数メートルの距離から小動物を仕留める実験に成功したものの、この兵器が完成することはなかった。
しかし、研究は停戦まで続けられ、マグネトロンの開発成果は、後に電子レンジの開発にも生かされた。

1980年代、レーガン政権下で戦略防衛構想(SDI)が立ち上がり、ミサイル防衛司令部の名の下に指向性エネルギー兵器の研究や宇宙兵器の開発が行われました。
この構想のベースとなったのが、登戸研究所の「怪光線作戦」であった可能性がある。

登戸研究所は、日本陸軍最大の研究所で、兵器の開発や陸軍中野学校への情報提供など、さまざまな研究を行っていました。
その存在は70年近くも秘密にされていたが、「風船爆弾作戦」や「怪光線作戦」などのプロジェクトは重要であり、現在も影響を与え続けている。

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