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欲の聖化

欲を持つことは良いことでしょうか?

と聞かれると皆さんなら何と答えるでしょうか?

欲があるから人は向上することが出来るので、欲は必要だ。

欲があるから心が煩い、苦しみにしかならないから欲を捨てなさい。

上記2つの見解は矛盾していますが、どちらも完全に間違いだとは言い切れないと思います。

あるもの一切は必要だからあると言われます。

欲は必要ですが、個人の欲にならないことです。

個人の欲は全体から見ると大変、小さなものです。

そのため小欲と言われます。

小欲は全体の弥栄にとってマイナスにしかなりません。

なぜなら個人の立場を優先して考え、行為するからです。

また全体を無視する故に思い通りにならず、不満にしかなりません。

欲を捨てなさいと言われるのはこの小欲です。

ですが捨てなさいと言われて、簡単に捨てられるものではありません。

そこで大事なのが立場を変えることです。

個人の立場を全体の立場に変えればいいんです。

そう、小欲を大欲に変えるんです。

神は全体の弥栄を願っている故に、全体の立場に立って行為することは神の行為となります。

また神の願いをかなえる故に、思い通りになるんです。

神心となって神の願いを叶えることが、一切の願いを叶えることになります。

それが日月神示で言われる欲の聖化だと私は思っています。

以下は日月神示の一文です。


日月神示
【黒鉄の巻 34帖】
祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。
生命のイキであるぞ。
祈りからすべてのもの生まれるぞ。
誠の喜びの祈りからは・が生命し、かげの祈りからは〇が生命するぞ。
人祈れば神祈り、人為(な)せば神なる道理ぢゃ。
禁欲は神の御旨(みむね)でないぞ。
欲を浄化して、生めよ。産めよ。
今の人民、欲の聖化を忘れて御座るぞ。
欲は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。
欲を導けよ。
自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神に融け入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。
マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ。


【月光巻 14帖】
流れ出たものはまた元に還ると申しても、そのままでは還られんのであるぞ。
天から降った雨がまた天に昇るには、形を変えるであろうが、この道理をわきまえんと、悪かみかかりとなるぞ。
それはそなたの自己欲から出ているぞ。
自己欲もなくてはならんが、だんだん浄化して行かねばならん。
浄化して大き自己の欲とせよ。
自分のみの欲となるから弥栄えんのぢゃ。
弥栄えんもの神の御心に逆行。