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小欲を大欲にする

我があるという前提で生きるのが人の最も強固な癖だと言われます。
我がある前提で行為することは自他の分離を生み出すと同時に、我善しの考えを強化することになります。

我善しはエゴをより育てることにしかなりませんから、自分本位にしか生きられません。
故に当たり前のように他を蔑ろにするから奪い合い、争いしかなりません。

神の心は弥栄であり、調和であり、真であり、愛であります。

これに反するから紛争、貧困、いじめ、ブラック企業、など様々な問題が起こり続けます。
現在の世界が我善し人間を生み出す環境になっているから、我善し人間を悪として裁いても意味がありません。

しかし、そのままでは困った人たちが増え続けるのでより良く変えていかなくてはなりません。
それに気づいた一部の人たちは今、必死になって行動を起こしています。

フランシスコ教皇、ダライ・ラマ法王などマスターと呼ばる方たちも国、人種、宗教にとらわれず調和に向かって行動をしています。
お釈迦様やキリスト、ラマナやラジニーシといった過去のマスターも修行を完成させた後でも、法を説き続け多くの人を導き続けました。

それは全体がより良く変わらないと本当の意味での天国は出来ないと知っているからです。
だから誰かがしてくれる、ではいつまで経っても幸福になれないんです。

エゴがある限り、常に恐怖や不安なりが付きまとうんです。
常に恐怖や不安があって幸福になれるでしょうか?
個人の覚醒があって、全体の覚醒もあるんです。

これを読んでいる人たちに問いたいと思います。
エゴ的に生きる人は好きでしょうか?
エゴ的に生きている人は調和的でしょうか?
エゴ的に生きている人と一緒にいたいでしょうか?
エゴ的に生きている人はいつも幸せそうでしょうか?
自分本位に生きて、家族と仲良く出来るでしょうか?

日月神示には『何(ど)の身魂も我の強い身魂ばかり、よく集まったものぢゃと思うであろが、その我の強い者がお互いに我を折りて融け合って物事成就するのぢゃぞ』(まつりの巻18帖)
『我を出すからしくじるのぞ』(月光の巻 46帖)とあります。

エゴ的な生き方を解決するにはどうすればよいか?
エゴとは小我で小欲です。
だから小我を大我に、小欲を大欲にしていけばいいんです。
自分を含めた一切のより良くのために考え、行為すればいいんです。

それが大乗の道であり、最も現実的な道であると私は考えています。
日月神示にはこう書かれています。


【夏の巻 10帖】
過去も未来も中今。
神も人間と同じで、弥栄して行くぞ。
悪いクセ直さねばいつまでたっても自分に迫ってくるもの変わらんぞ。
おかげないと不足申しているが、悪いクセ、悪い内分を変えねば百年祈り続けてもおかげないぞよ。
理窟なしに子は親を信ずるそ。
その心で神に対せよ。
神が親となるのぢゃ。
目と口から出るもの。
目の光と声とは、実在界にも実力持っているのであるぞ。
力は体験通して出るのであるぞ。