我善しの生き方は無知の生き方
我善しの生き方は無知の生き方です。
人は1人で生きているのではありません。
多くの個人が集まって世界を形成しています。
それ故に多くの思いがあり、立場があります。
我善しとは自分のことしか見えてないため、それ以外の多くの思いや立場を知らない、理解していないことになります。
これが無知と言われる原因です。
無知のため全体を無視した行為にしかならず、必然的に調和を乱すことになります。
組織や団体の中で調和を乱すとどうなるか?
皆さんもよくわかっているはずです。
神とは真、善、美、愛と言われ、美は調和を意味します。
調和しないことは神に背く行為ゆえに歓喜、弥栄することはありません。
歓喜、弥栄しないものに意味などあるでしょうか?
歓喜、弥栄したければ我善しという狭い世界から飛び出すことです。
自分の幸福しか考えないから、自分すらも幸福になれないということを忘れないで下さい。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【青葉の巻 8帖】
時節には従って下されよ、逆らわず、後の立つよう致されよ、後のやり方、神示で知らしておろうがな。
国々所々によって同じ集団(まどい)いくらでもつくりあるのぢゃ、いずれも我折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、いずれもそれぞれに尊い仕組ぞ、またとない集団(つどい)ざそ。
神の心告げる手だても各々違うのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、囚われるなよ、囚われると悪となるぞ。
悪とは我れ善しのこと。
【青葉の巻 9帖】
苦労致さねばマコトわからんなり、人民という者は苦に弱いから、中々にお蔭のやりようないぞよ、欲出すから、心曇るから我れ善しになるから、なかなかに改心出来んなり、難しいぞよ。欲さっぱり捨てて下されよ、欲出るとわからなくなるぞ。