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矛盾するものの意味は同じ

現在はスマホがあれば様々なグル(導師)の教えを知ることが出来ます。
 
ですがグルの教えは万人に対して正しいものとは限りません。
 
知っておかなければならないのはグルが誰に向けて言った教えなのかということです。
 
特に特定の弟子に対して説いた教えならなおさらです。
 
グルが弟子に教えを説く場合、弟子の理解度にあった教えを説きます。
 
だから同じ弟子に対しても教えの内容が変わり、時には正反対の教えを説くんです。
 
グルが教えようとしているのは知識ではなく、生き方です。
 
般若心経で言われている『色即是空、空即是色』つまり不二の生き方です。
 
不二とは矛盾するものを分別せず、分別することです。
 
『ある』と『ない』を超越し、ある、ないを選択することです。
 
善悪を超越し、良いと悪いを選択することです。
 
人は右と教えれば右だけが正しいとして、自動的に左を否定します。
 
つまり、どちらか極端に偏ってしまうんです。
 
グルは極端に真実はなく、極端が苦しみの元だと知っています。
 
故に偏りをなくそうとするわけです。
 
『あなた達に必要なのはグルだ』
 
過去のグル達と同じように、私の師匠がよく言ってた言葉です。
 
グルは常に立体の中道にいる、生きた教科書です。
 
だから偏りがなく、偏りを見抜き、偏りに気づかせることが可能なんです。
 
経典や語録などの文字の教えは平面的で、極端です。
 
だから本などでは偏りのない立体を学ぶのが難しいと言われるんです。
 
立体を教えることは立体的な生き方をしているグルにしか出来ません。
 
グル達は言葉という極端を巧みに使いながら、極端を超越させようとするんです。
 
必要なのはグルだと言われるのはこのためです。
 
私も師匠の教えは難しく、混乱することが多かったです。
 
師匠は矛盾するようなことを平気で言ってきます。
 
これは言葉という極端を巧みに使いながら立体を説いているのですが、私は平面として理解しようとしたから混乱したんです。
 
球体(立体)の中心(中道)から見れば両極は最も遠く離れていますが、球体としては一としてあり、分離しておらず、矛盾していません。
 
平面という偏った所から見るから分離し、矛盾しているように見えるんです。
 
先にも書きましたが極端、偏りは物事を見誤るため、苦しみにしかなりませ
ん。
 
では立体的に物事を見れるようになるためにはどうすればよいのでしょうか?
 
物事の一つ一つには意味があります。
 
この意味を追求していけば矛盾するものには必ず、繋がりがあることがわかります。
 
矛盾するものは矛盾するが故に相対しながら一として存在しています。
 
例えば善悪は悪があるから善を知ることができ、善を選ぶことが出来るんです。
 
悪がないと善が何なのかすら分からず、善を行えないんです。
 
これが矛盾するものは一としてあり、また一なるものは相反するものを内蔵しているから、分離されたものはなく立体としてある、という意味です。
 
だからニは一であり、一はニである不二と言われるんです。
 
以下は日月神示の一文です。
 
 
日月神示
【黄金の巻 29帖】
心して怪しいと思うことは、たとえ神の言葉と申しても一応は考えよ。
神の言葉でも裏表の見境なく唯(ただ)に信じてはならん。
サニワせよ。
薬、毒となることあると申してあろうが。
馬鹿正直、まことの道見失うことあると申してあろうが。
道は易し、楽し、楽しないのは道ではないぞ、奉仕でないぞ。
 

【地震の巻 2帖】
すべて分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈打たない。
分類しては、生命の統一はなくなる。
そこに、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。
一なるものは平面的には分離し得ない。
二なるものは平面的には一に統合し得ないのである。
分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。
・については一なるも、⦿においては二となり、三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。
一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。
神霊なき地上人はなく、地上人と離れた神霊は、存在しない。
しかし、大歓喜にまします太神の・は、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。
それは、立体をはるかに超えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。
霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。
生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。
すなわち、死後は生前の形式による。
形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。
而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。
 

【碧玉之巻 1帖】
反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ。
合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から復立体に、復々立体に、立立体にと申してあろう、漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸開きぢゃ、低い世界は戒律なくてはならんぞ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、平面と立体とゴッチャにするのと同じ迷いの道であるぞ、気をつけ下されよ。
病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、この巻物をどんなに読み取るかによって新しき道が開けるのぢゃ。
神からの巻物おろそかにするでないぞ。