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仕方ないだろ、人間なんだから。

人間なんだから、言葉を持ち、感情を持ち伝える。

イルカやヨウムなどは人間の5歳児くらいの知能があると聞くので、感情や簡単な言葉の意味などはわかっている。他の動物にも小学校低学年ほどの知能を持ち合わせている種属はいるだろう。

でも、人間ほど数多の感情を抱き激しい感情としてぶつけ合い、殺し合いをするほど愚かではないように感じる。
思い込みや圧力が人々を壊していったのだ、と祖母に聞いた。

最近悲しくなるニュースが多い。
もう、パンダが自由にころころ動き回りササを食べて順調に育ってます、とかのニュースしか見たくない。


記憶によって人はいかされている。人間も、他の動物も。

記憶で動かされている僕らがもし、住んでいる家も、自分の名前も、口座も、お金の計算も 家族や対峙している人の名前も忘れてしまって思い出すことができなくなってしまったら。説明することができなくなってしまったら。こんな怖いことはない。今自分が息して生きていることが今を必死に生きていること自体が嫌になってしまうだろう。
僕は強く頭を打ちつけてしまい、一時的に記憶を失い名前も親の名前も、連絡先も住所も今いる場所も説明ができなかった時があった。
わかるのは、サイレンが鳴っている白い車に乗って寝ているということ。騒がしい人だかりの中におじさんがシャカシャカした服を着た人に一生懸命話をしていることが見えている、ということだけであった。徐々に思い出される記憶もなくただ、僕は早く楽にしてくれと神に願うほど痛む頭を横たえてただ、隣にいる人を眺めていた。「大丈夫ですよ」とその人は言ったけれど、何が一体大丈夫なのか分からなかったので黙っていた。
生きていることが嫌になった。でも、なんか凄そうな人が大丈夫というので、大丈夫なのだろうと思って、車の天井をみて黙っていた。

病院についてからは車椅子で移動したが頭が本当に痛い。ついてからは思い出すことができたので良かったが、思い出せない記憶たちが人生を支えているのだと思い知り、恐怖で歯がガチガチ鳴るほどの怖さだった。人間はどれほど弱いのか知った。もし、認知症患者がこの恐怖を延々に感じているのであれば、もし僕であれば早く寿命が来てほしいと願ってしまう。ニ度とごめんだ。(ただ、65歳以上の認知症患者の割合は5.4人に1人認知症になってしまうと言われている。なんてこった) 


「しょうがないよね」

しょうがない、そう思っちゃったんだから。
僕はこの歳になるまで、これがなかった。
まあいいか、そう思っちゃったし、こうなったんだから。
ある種の責任の分散というものをしてこなかった。筋が通っていないと嫌だし、考えることを止めることができない(途中でやめられない)

全ての人に理解してもらわなくてもいい、分かってもらいたいけれど、伝わらない人もいる。それを許す必要もある、ということを理解するまでに時間がかかった。許し方や区切り方がまだいまいち掴めていないけれど人間として生まれてきたからにはこれがないと身がもたない。特に自分みたいな極端な人間は。
緩やかに、しなやかに生きた方がいいらしい、ここについてはもう少し知る必要があるっぽい。

仕方ない、という感覚は手放しや放棄ではなくて選択肢を増やすしたたかなやり方の一つであって、僕が思うような屈折した感覚ではないみたいだった。ここまでしかわからないが、仕方ないと思ってもきっと大丈夫だ。大丈夫。

ここまで読んでくれてありがとう。ではまた。

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