吐露、走る

リモートワークが続き、運動不足が深刻化したため、久しぶりに走ってみることにした。
ジョギングと変わらない速度でほんの数分だけ、普段は煙草の煙しか満足に取り入れない肺に外の空気を存分に取り込む。
気分は晴れやかで、清々しいとはこのことだ。と体が実感した。
しかし、体が違和感を察知する。不快感は理解する前に脊髄反射で脳に届く。
「痛い。」
左足の甲が痛みだす。いや、もうすでに走りたくない程度には痛い。
こんなもんかという思いを自嘲気味な笑いとともに飲み込んで、家に帰る道へと引き返す。

高校生の時、足に合わないバスケットシューズを買った。かっこよくて、新品のシューズを軽い気持ちで履いて、走った。
人生で一番の後悔は何かと聞かれたら、迷わず思い出すくらい馬鹿なことをした。
気付いた時にはもう遅かった。元々偏平足で外反母趾の私の足に、足の形に合わないシューズを掛け合わせたらどうなるか、そんな簡単なことも分からない十代の頃。
痛みで走れないことが増えた。走ることが何よりも好きで、バスケが好きなのか、走ることが好きなのか分からないと軽口を叩かれては、どっちもだと答えていた日々が唐突に私の中で終わりを迎える。
整骨院か整形外科か忘れたが、カルテに書かれた慢性の文字に絶望した。
ケガなら治療すればいい、時間が経てば勝手に治る。そう思っていたし、そうだと思いたかった。
実際、そこで挫けずに治療やリハビリをすれば良かったのかもしれない。
でも、私はそうしなかった。高校2年生。勉強は嫌いではなかったが、徐々に授業についていけなくなる不安、部活で精神的支柱だった先輩の引退、顧問の交代、友達はたくさんいたが、相談はできなかった。暗い話で友達まで離れてしまったら、いなくなったらと思うと怖かったから。
SNSに逃げた。そこでは私は何者にでもなれた。辛い現実を見つめなくても、生暖かい沼がいつでも私を歓迎し、私の全てを包み込んでくれた。
事実、あの時の私にSNSがなければ、選択肢も逃げ場もなく当の昔にこの世には居なかっただろう。精一杯の逃避行だった。

見つけた選択肢に飛び込んだ。
誰から反対されようと、十代の私には決めたことをやり抜く強さがあった。
今思えば、その無謀さだけは評価に値するかもしれない。
新天地では、走ることを止めた。その代わりに化粧をしたり、好きな服を着たり、好きな場所に行った。好きな勉強も徐々にできるようになった。

足が痛むと思い出す。
あのまま走り続けていたら、今頃私は何者だったのか。
大学には行けたのか、人生の友に出会うことはできたのか、幸せに生きているのか。
挫折しても案外幸せに生きている今の私から言わせてみれば、言わずもがな。でしょう?

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