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230917_思いは選択できるが、そのうち選択できない可能性もある

人間は何かを思うことが出来ます。
思いは思考と呼ばれますが人間自身が思考ではないと考えると私たちが日常、何かを考えたり思ったりできるのは人類がまだよくわかっていない次元から思考のもととなる情報が流れてきていてそれをキャッチしていて、それに対する反応の結果が思考になっていると推測しています。

タイトルにある通り、現時点で我々はある程度、自分が思うことを選択していると思いますが、これが超監視社会に入るとこの思考の部分も著しく制限が入ることが予想されます。
それはテクノロジーがそうさせるのです。

人間は言葉と思考を組み合わせて世界を変えてきました。となると、世界を牛耳るものからすると【人々が自由に思考する】ことを非常に嫌うでしょう。となるとこの思考を制限するというのは当たり前の話になると予想しています。

ふっと物思いにふけることも困難になる異常な時代が来てもおかしくはないと思います。

自分の身の回りを見まわしてみると現時点では【自分が作ったものがほとんどない】と言える生活をしているかと思います。何でも他人が作ったもので生活して見る番組、コンテンツ、ありとあらゆるものが受動している状態です。受動している状態であると氣が付いていたらまだいいほうです
それすらも氣が付かず、与えられまくっていると今度は自分の思考を制限される社会を他人から与えられるのです。

それでも引き寄せの法則とか知っている人は頭の中で何かを望むでしょう。望んだ瞬間、社会を監視しているそこら辺をパトロールしている人工知能搭載のドローンがやってきて
AI「あなたは今、個人的な欲望を発しましたね。周波数の異常を感知しました。個人的な欲望を発することは反社会的と見なされます。」
AI「あなたの顔をスキャンいたします」
AI「あなたの社会番号は〇〇番ですね。あなたが今現在、保有しているソーシャルポイントを3ポイント剥奪いたします。」
AI「以降ご自身の思考に注意して生活してください。」
と笑えないインフラが整備されるのです。

こういうのが嫌なら日常で何かを思えることを大切にしていったほうがいいですよね。氣が付いたら選択肢が無さ過ぎて1択しかありませんでしたと成り兼ねないときが来ているように思います。

アマカム


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