どうにかして土曜日

懐メロが無性に聴きたくなったのは、夏のおわりを肌でなぞる風で感じたから。

懐かしのメロディにあやふやだと思われていた歌詞が勝手に飛び出る。

歌詞完璧覚えてるじゃん。
昔ほど呂律は回らないけど、この曲が好きだった頃のピュアな自分はどこにもいない。
そんな思い出の話です。



あんなに好きっていってたじゃない。

好きって言ってくれた人、ガチ恋勢は本当に私の全てを受け入れた。
こんなブスの何気ない自撮りを待ち受けにしたり、過干渉がない。
通知オフにしている私のスマホに興味がない。
私の全てを欲しがるような人が多かった。
愛だな。
私にはそれはない。

その方々は、いまから付き合うというよりも、これから先の未来の話ばかりをしてくれた。

だが、安定を求めるよりも好きなときにあえて、都合の良く、キスもろくにしてくれてない、やたら上手いセックスと、程よい距離感を保てる男に依存していたのは私である。

未来なんて考えたくない、
刹那的に活きたい。

見た目がだめだと身が入らないのだ。
ガチ恋勢は見た目も収入も問題なく、他の女に浮気もなく、いわば離婚してまで私との未来を考えてくれる人もいた。

だが、受け入れられないのだ。
出会いではなく、セックスでもなく、私は本能的に好き嫌いを判断しているのだ。

まるからバツになるのはわかる。
バツからまるにもなることもある。
さんかくはさんかくのままだったり、バツになる。

だが、まるからセックスにはならない。
セックスは最初からセックスだ。

セックスして、よければ先と未来を考える。
車を買うとき試乗する、そのノリでセックスをした。

丁寧に順序を踏んで(しかたなく)セックスに至って、最高だった試しがない。
もう経験人数も覚えてないほど、自分のスキルは上がるが、歳を重ねるたびに虚しく感じる。


長いこと繋がっていた人から折返しの連絡が来なくなった。
お外でランチ、恋人繋ぎデート、遠出も減り、思い出がGoogleフォトの中だけになった。
無料分は使い切ったし、データは削除したので、クラウドを開くとたまに出てくる「n年前の今日」がたまに胸を締め付けてくる。

悔しかったので、どうせ見てないと思うけど、ヒロスエ風に「入ってくれて、きもちくしてくれて、ありがとう。」とメールした。
すべてがおわった。


私はあと何回、同じ思いを繰り返すのだろうか。

好きな人に好きって言われないことはツラい、と失恋のラブソングには書かれていた。

私には相思相愛で好きになられた頃もあるわけで、申し訳ないが好きだった人に好きになれないと言われないことはない。
つまり好きになってくれる可能性がないことには、好きにならない。

もう引き返せないくらいの過去から学んで、自分から能動的に好きになれる人が現れてくることを願うばかりである。


追伸
恋してないと、太り続けるね!
やべーわ!(笑)

これに投げ銭するなら地元の温浴施設でジュース買ってほしいレベル