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創作のヒントになった気づき:話が繋がらないと視聴者(読者)は混乱する、と思った

最近、とあるアニメを観ていて、「おや?」と思ったことがある。

自分の創作に活かせる気づきだと思ったので、記しておく。


自分が違和感を感じたのは、主人公とサブキャラXの出会ったシーンが描かれていないのに、すでに出会ったものとして描かれていたところだ。

この二人のキャラクターは人物設定からまったく接点がなく、出会いのシーンを演出しないと、「知り合い」設定にするのが難しい。

アニメを1話から振り返ってみても、二人は出会ったシーンは描かれていない。
けれども、出会ったことになっていて、主人公はサブキャラXの印象を他の人物に語っていた。その会話から、ふたりは顔を合わせていることが伺える。

気になってSNSで調べてみたら、謎が解けた。
原作では主人公とサブキャラXが初めて出会ったシーンが描かれているが、アニメではカットされていたらしい。その後、「二人は出会っていた軸」で進んでいた原作の内容をアニメ化したので、アニメでは出会ったシーンが描かれていないふたりが出会っていたことになっていた。

人物もサブキャラクターだし、メインストーリーではないので、気にするところではない。
私の頭の中で、”どこかで出会っていた”ことにしておけば良いだけのはなしだが……

とってもとっても納得できなかった。

しっくり来ない。と言う方が的確か。とても違和感がある。

その違和感の理由は「話が繋がっていない」ように感じる、ということ。

アニメで出会いが描かれていないけど、「顔見知りだった」で通じるのは、
幼馴染や身内だと思う。
生い立ちや至った道のりで接点が全くないキャラクター同士が「実は知り合いだった」というのは想像しがたい。
話が飛躍しているように感じてしまう。

エピソードも含め、どこかで出会っていたシーンを描いてくれないと、「ふたりは出会っていた事実」は納得できない。

小説ならば出会いのシーンを描かなくても、地の文で書く事ができる(説明文みたいにならないように注意だが)。

アニメも、漫画も不連続なシーンを組み合わせて、話が繋がっているように作り出すわけで、シーンとシーンの繋がりは気をつけなくてはいけないと思った。

そして、些細なことでも違和感があれば立ち止まってしまう読者がここにいるので、読者目線で気をつけていきたいと思った。
「違和感→立ち止まり」は読者(視聴者)離れのきっかけになりかねない。


余談だが、アニメではカットされている二人の出会いのシーンを探すのに、3日間睡眠時間を削って探し回っていた。なんとも残念な話。
今日からは何かも忘れてぐっすり寝ることができる。

それにしても謎が解けてもスッキリしなかった。違和感が拭えない。

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