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【読書感想文】吉野裕子『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』

読書感想文とも少し異なる気がするのだが、つらつらと考えている内に長くなってしまったので、まとめてみる。

勉強ノートというか、資料をまとめるための雛形を作ろうと、サンプルとして吉野裕子・著『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』から、猪としての「山の神」の神格をまとめてみようと、再度、眺めていた。しかし、改めて距離をおいて俯瞰して見ても、この著者、自分で書いていて矛盾するとは思わなかったのだろうか。あるいは、フィールドワークを含まない机上の空論だったのか。

「山の神」についてインターネット上で安易に拾える情報のほとんどは、遠野地方、強いては東北地方における資料が多い。
これは柳田國男の功績によるものであり、ある意味その影響による功罪にも感じる。なぜなら、一般に流布している資料のほとんどが『遠野物語』などを中心としたものだからだと考えられるからだ。
一方で、西日本における「山の神」について調べるのはかなり困難に感じている。市販されている資料の少なさもそうなのだが、そもそもとしてこの古い「山の神」自体がどれほど残っているのか、専門でもない自分には見当もつかないからだ。
『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』に手を出す以前に読んだ論文から拾えたのは、西日本における「山の神」は蛇・龍が多いという点だけであり(※もっと論文を集めてみれば変わるのかもしれないが、その時点ではそれが精一杯だった)、それを踏まえてこの『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』を購入したという経緯がある。

だがこの本、前説の一行目からして色々と問題なのである。

日本の古い社の祭神の起源、原像を探ると、伊勢神宮、賀茂、稲荷、諏訪等の大社をはじめ、ほとんどの場合、その行きつく先にあるものは祖霊としての蛇神である。

『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』本文 P.3

色々と全否定である。取り敢えず伊勢神宮に謝れ。あと稲荷大社を何だと思っているんだ。
この時点で既にして「は???」という感じなので、「これは駄目かなぁ……」とは思ったけれど、とにかく読み進めてみた。しかし、序章「倭建命伝承と日本古代信仰――祖霊の力と女の力」にてまたもすぐに詰まってしまう。

古代日本には同腹の女姉妹は、その男の兄弟に対して「オナリ神」という守護神になる、という信仰があった。(中略)沖縄ではこの信仰は今も残り、本土でもその痕跡はいろいろと見られる。

『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』本文 P.16

これ自体は端的には事実である。琉球王国を古代日本として含むかについては個人的には異論を挿みたいが、本土にも痕跡らしきものがあるというのは、他で調べ物をしている課程で読んだことがある(田植えの時に昼食を運ぶ女性のことを西日本ではオナリといい、巫女としての役割を含んでいたとされる)。
しかし、琉球からの影響があったとして、台湾・沖縄における先史時代の影響がどれほど日本本土にあったのかは甚だ疑問が残る。
現代に至るまで色濃く影響が残ると思われるのは、やはり鹿児島あたりだろうか。これは所謂マレビトに関する儀礼祭祀にも強く見られるように思う。
しかし、これについてはまだいい。正直どうでもいいので無視をしよう。

第一章に至ってはそのほとんどがこじつけとしか読めない部分が多く、結論ありきの三段論法であり、『古事記』については認めたくないらしいことしかわからなかった。というよりも、理解を諦めた。
一番笑ってしまったのは以下の一文である。

さらにさかのぼれば、人類の祖たちに語り継がれていたに相違ない恐竜の記憶がかくされているのかもわからない。

『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』本文 P.54

……いや、まったくもってして語り継がれていないと思う。
旧人類が誕生した50万年前に、それ以前に絶滅した恐竜を語り継げる要素がどこにあったのだろう?

とにかく色々と無視して話を「山の神」に戻すと、この第一章の終わりにおいて、「産の神」として「山の神」の性格が挙げられている。
このなかの例である①~④は、主に岩手県の伝承になる。
遠野をはじめとする東北地方に伝わる「山の神」は最も古い形を残すものだと言われている。中部地方から北陸、東北地方にかけては「十二様」「十二山の神」と呼ばれたりもする「山の神」だ。
古神道について全国的にそこまで明るいわけではないので、あくまでも素人による個人的な感覚でしかないけれど、遠野に伝わる民間信仰は山の神どころか全体的に特異というか独特で、かなり独立した土着信仰的なものが多いような気がする。
これは少しでも興味を持って調べてみたり、遠野市立博物館における令和5年度夏季特別展「遠野物語と呪術」を観覧したか、図録を購入された方ならなんとなく理解していただけると思う。
完全な私見ではあるが、おそらくこれは、東北地方が古くは中央政権の支配下になかったことが理由の一つなのだろうと思うし、豪雪地帯ということもあるのかもしれない。つまり、文化的にも分断・隔絶されていたのではないだろうか。
なぜなら、京から見て東は東夷にあたるのだから、文化の伝播にも差があったのではないかと推測される。だが、どうにもこの著者、そうした歴史的経緯についてはまるっと無視しているようなのだ。あるいはこれはかつての民俗学者に共通する点なのだろうか。

第一章において一貫して主張が繰り返されるのは、「山の神」の本体は蛇であるということだ。
つまり、東北地方における「山の神」もまた祖神としては蛇神なのだと言っているわけである。
ところが、第二章において易・五行思想を絡めてもう一つの神格・猪について考察していくに至って、「十二様」は十二支の亥から来たものであり、つまり猪だと言っているのだ。

……いや、阿呆なのかな?

そもそもとして、猪が「山の神」あるいは「山の神」の神使とされているのはいくつあるのだろう?
著者は論拠の一つとして『古事記』の伊吹山の神を挙げている。これは『もののけ姫』において乙事主のモデルとなった神なのだが、『日本書紀』ではこの神の正体は大蛇になっている。
また、猪の尾が潰れているのは「常に山の神がついて回っていると信じられている」なんていうのもある。
つまり猪は山の神であり、山犬と同じく神使だったりするわけだ。
要するに、歴史的な背景や政治的な背景はさておき、中国から易・五行思想の伝搬と共に「山の神」は蛇から猪に取って代わられたというのだ。
だが、最初に書いたように、この本をとる以前に自分が知っていたのは、西日本における山の神は蛇・龍だというある論文の一文だ。仮に易・五行思想の伝播により政治的、あるいは宗教的思惑から蛇が猪に取って代わられたというのなら、その影響が強く残るべきは西日本にあるように思う。
逆に、西日本で書かれたものだからこそ東北の「山の神」は貶められたのかとも考えられるが、それだと遠野に残る「山の神」は新しい形ものでなければならない。それとも、猪に変容する以前の「産の神」としての性格だけが残ったとでも言いたいのだろうか。

ここで一つ面白い話をすると、そもそもイノシシ、関東以北には基本的に分布していない。
これは農林水産省の報告書に基づくデータで、東北地方には未生息地域がかなり広く(※北海道にも一部しかいないが、これは本土から搬入されたものが野生化したのだろうか)、他地方との大きな差異でもある。
2020年の生息報告では東北地方(北関東との堺)でもかなり増えているが、過去の生息報告から鑑みるに、おそらく関東から北上したものと考えるべきだ。
だとすると、「十二様」の神格が猪であるとするのはかなりおかしな話で、仮に本当だと仮定しても、それが東北に伝わったのは『古事記』『日本書紀』の成立期どころか、かなり後世になってからと考えるべきだ。そうなると前提からしておかしいことになる。
これは『因幡の白兎』に出てくる「和邇(わに)」が本当にワニ(クロコダイル)だったのかサメだったのか論争とは、舞台の違いからしてもかなり異なるもののように思う。

ちなみにいうとこの著者、しれっと伊吹山の神が蛇神だから『日本書紀』のほうが先に成立した!とも主張しているのだ。既に他界されているのだが、なんかもう、色々と多方面から怒られそうな著者だな、と思っている。
柳田國男も歴史学者から見れば噴飯物の論説が多いが(「七つ前は神の内」などはその最もたるものだろうし、私見としても歴史的に見てこれについては批判的な見解しかない)、この吉野裕子の主張は柳田派からも歴史学者からも、なんだったら国文学者からも突っ込みが来そうだな、という感じである。
この本のなかで唯一絶対的に信用できるものがあるとすれば、古来、日本の人々は山の峰に蛇の形を見たという点だけである。

あまりにも参考にならないので資料用のノートの雛形を作るサンプルにしようと思ったのだが、果たしてちゃんとまとめられるのだろうか。
読み直すのも苦痛なのだけれど……。

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