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伊伊川津貝塚 有髯土偶 15:石柱のメッセージ

愛知県西尾市川口町の浅間神社(あさまじんじゃ)から北々西7.7km以内にある碧南市半崎町(はんざきまち)の西端八剱神社(はっけんじんじゃ)に向かいました。矢作川(やはぎがわ)を超えると西尾市を出て、碧南市に入りました。

愛知県碧南市半崎町 西端八剱神社
碧南市半崎町 西端八剱神社
半崎町 西端八剱神社
半崎町 西端八剱神社

南側から西端八剱神社に向かって北上していると、道路の両側に対になった4、5mの高さのある大きな石柱が建てられている場所に出た。

愛知県碧南市半崎町 西端八剱神社 石門

すぐ先には大鳥居が見えている。
何だろうと石柱の4面を見てみると、左側の石柱の裏面(?)には大きな文字で「敬神」、右側の石柱には「謝徳」、そして、これらの石柱が昭和12年に氏子が奉献したものであることが小文字で刻まれていた。
地図をチェックすると、大鳥居が目的の西端八剱神社であることが分かったが、石柱は一般に神社ではなく寺院に属するものなので、周囲を地図でチェックしたのだが、周囲に寺院は見当たらなかった。
なので、石柱に刻まれた「氏子」が西端八剱神社の氏子を指しているのだと思われる。
文字が西端八剱神社に向かう人に見えるのではなく、裏面に刻まれていることから、「敬神」「謝徳」の言葉が神に対する言葉であることが分かる。
これは社殿に上がる時、履き物を、自宅や料亭に上がる時にするように、爪先を外に向けて置かないことに通じている。
社殿に上がる時、履き物の爪先を外に向けて置くと、社殿を出る時に神に対してお尻を向けることになるからだ。
なので、神社で社殿に上がる時は履き物の爪先を社殿内に向けて置きます。

石門の間を抜けると、40m以内で表道路に対して斜めに大鳥居の建てられた社頭に到達した。

碧南市半崎町 西端八剱神社 社頭

社地の南端は大鳥居の手前にあって、その玉垣内に「八剱神社」と刻まれた社号標が設置されていた。
社号標前がゴミ出し場のスペースになっていたので、そこに愛車を駐めたが、本来は不浄なものを社頭に置くのは避けるべきなんだよね。
それはともかく、社地は全体が玉垣で囲われていた。

大鳥居は石造の明神鳥居で、南々西を向けられ、表参道は大鳥居のままの幅で白っぽい砂利が敷き詰められていた。

半崎町 西端八剱神社 大鳥居

鳥居の先10m以内に金属製の長い連子格子扉が設置され、中央部分が少し開かれ、参拝者が通り抜けられるようになっている。
また、参道の両側には対になった石灯籠が並んでいる。

連子格子扉の前に至ると、80mあまり先の右寄りに拝殿が見えている。

半崎町 西端八剱神社 表参道(連子格子扉/拝殿)

連子格子扉の間を抜けて、拝殿前に至ると、それは瓦葺入母屋造平入の濡れ縁を持つ大きな拝殿だった。

半崎町 西端八剱神社 拝殿

木部はすべて防腐剤で黒茶に染められているようだ。

拝所に上がったが、拝殿には立派な注連縄が掛かっていた。

半崎町 西端八剱神社 拝殿 注連縄

賽銭箱も大型で、五三ノ桐紋が焼き付けられている(ヘッダー写真)。

拝殿前で参拝したが、この神社の情報は社地には見当たらず、ネットにも情報は少なかったが、『へきなん観光ナビ』に以下の情報があった。

■祭神
天照大御神、大日貴尊(オオヒルメムチ)、素盞鳴尊、吾勝勝尊(ツカチ)、伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナミ)、速玉男尊、倉稲魂尊、仁徳天皇

■歴史
1391(明徳2)年 栄願寺の前身杉浦家二代の義通が、熱田より八剣宮を勧請
1736(元文元)年 当地に移転
1910(明治43)年 熊野社、稲荷社、八幡社、神明社を合祀

『へきなん観光ナビ 村社 八剱神社』
https://www.hekinan-kanko.jp/highlight/detail/71/

祀られている神は多いが、すべて天孫族系統の神だ。
「大日貴尊」は「天照大御神」の別名。
「吾勝勝尊」はアメノオシホミミの別名で天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五皇子の長男。
「速玉男尊」は「伊弉諾尊」の別名。

熱田の八剣宮から勧請された神社とのことだが、勧請元の八剣宮より西端八剱神社の方が境内も社殿も大きい。

拝殿を降りて西側に回ると、裏面には瓦葺の回廊が設けられおり、瓦葺入母屋造妻入の大きな幣殿と思われる建物が連なっていた。

川半崎町 西端八剱神社 幣殿

木部はいずれも黒茶に染められている。

西奥に連なっている本殿は銅板葺流造で、やはり、木部だけでなく銅板も同色の黒茶で染められているように見える。

川半崎町 西端八剱神社 本殿

拝殿の東側に回ると、石造の台輪鳥居を持つ秋葉神社が祀られていた。

川半崎町 西端八剱神社 境内社秋葉神社

この境内社は鳥居だけでなく、立派な石灯籠も設置されていた。
社殿は瓦葺入母屋造妻入で、軒下部分だけ白壁を持つ建物。
1.2mほどの高さの独立した土壇上に祀られていた。

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ここ碧南市は矢作川河口に位置し、古くには『和名抄』(平安時代の辞書)に項目のある大浜郷と呼ばれた地であり、海上交通の要衝として栄えた土地です。やはり標高は低く、碧南市役所の標高は6.9mとなっています。西端八剱神社の南600mあまりに広がる油ヶ淵はかつて北浦と呼ばれる入江だった場所でそうです。


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