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麻生田町大橋遺跡 土偶A 138:都心に向かう高水敷

豊橋市牛川町の下洗島橋から、同じ南台の牟呂用水に架かっている無名橋3(仮名称)に向かいました。

無名橋3上から牟呂用水の下流側を眺めると、橋から10m以内に段差があって、白波が立っていた。

両側の道路には段差は見えないが、地層に段差でもあるのだろうか。
しかもその白波の立っている脇の高水敷に正方形の網目を持つ鉄のホール蓋を閉じた集水ボックスが設けられていた。
つまりここで上記写真右手に通っている県道69号線の向こう側(上記写真右手)の地域からの排水がここで高水敷地下の暗渠に流れ込んでいるのだろう。
よく見ると集水ボックス以後の下流の高水敷は段差が高くなっており、10mあまり下流でカーブして69号線の地下に吸い込まれており、集水ボックス上流側までの高さの高水敷は右にカーブしている高水敷とは上下に分離して牟呂用水下流に延びている。
つまり、もしかすると69号線の暗渠をくぐって牟呂用水の集水ボックスにやってきた排水と、ここまで牟呂用水内の高水敷内暗渠を流れてきた水は10mあまり下流まで2階建てで流れ、分岐しているのかもしれないのだ。
こんな水路見たこと無い。

無名橋3から69号線を牟呂用水下流に向かうと、230m下流で牟呂用水は暗渠に消えていた。
このあたりから69号線は394号線に地図表記が変化している。
このすぐ先で南北に流れる牟呂用水と東西に流れる朝倉川が牟呂松原用水7ヶ所目の立体交差しているのだ。
おそらく、牟呂用水は朝倉川に架かっている境橋(さかいばし)下の水管を通って下流側の暗渠に渡っているのだと思われる。
この立体交差部を撮影したかったのだが、この部分の394号線は車道しか無く、車を駐めるスペースは無かったので、通り過ぎるしかなく、撮影はできなかった。
境橋を渡り、次の交差点脇に愛車を乗り上げて地図をチェックしたのだが、GoogleMapには朝倉川に架かっているのは車道だけの境橋と水路しか記載されていなかった。
それで、ここの立体交差の撮影はあきらめたのだが、この記事を書くために航空写真を見たところ、ちゃんと歩道が水路脇に通っていることが判った。

朝倉川を渡ると東田町(あずまだちょう)に入るが、朝倉川から60mあまりの場所に暗渠の出口があった。

朝倉川を渡る以前は6m幅だった牟呂用水は東田町では4m幅に縮小され、高水敷は廃止されていた。
東田町西脇の暗渠の出口には水路に降りるための石段が設けられている。
牟呂用水の右岸に沿って延びる県道394号線との間は白いガードレール1枚があるのみだ。
一方、左岸は少し高く、傾斜は急だが土手が設けられているため、雑草が繁殖している。
雰囲気は、本格的に市街地に入ってきた感じに変わり、水路は邪魔な存在になってきている。

西脇の暗渠出口から牟呂用水下流130mあまりに位置する西西脇橋に移動。
橋と言っても、長さが3mあまりしかないのに、幅が13mもある橋なので、橋として意識されることはほとんどないかもしれない。
橋上から上流側を眺望するも、暗渠出口すぐ下流でカーブしているため、暗渠出口は見えない。

右岸(上記写真左側)の394号線は上り下り2車線の幹線道路となっており、左岸(上記写真右側)はさらに高く変化しており、通路を隔てた東側は住宅街になっている。

一方、下流側を眺めると、左岸はさらに高くなってきており、土手は傾斜したコンクリート護岸に変わり、幅30cmほどの高水敷が新たに設けられている。

牟呂用水の水路は先で左に折れている。

下流70m以内に架かった餌指橋(えさしばし)に移動。

橋上から下流側を見ると途中から川幅が6m近くに広がっており、牟呂用水の水面は大きく下がり、左岸はここまでとは逆に右岸より低く変化した。
右岸は牟呂用水と車道の間に広い歩道が設けられるように変化し、さらに都心に近づいている感じがする。
左岸には土手が復活して背の高い雑草が生い茂り、高水敷は姿を消した。
逆に右岸の394号線からは地下から流れ出てきたように、牛川町に延びていた白い1.3m幅の高水敷が復活し、樹木まで植えられ、寒かった風景に潤いがもたらされいる。
高水敷を含めると水路幅は7.5mくらいに広がった。

餌指橋から下流200mあまりに位置する上旭橋に移動。
橋上から上流側を眺めると、左右の岸の高さは同じくらいになり、左岸(下記写真右手)には灌木が生い茂っており、護岸がどうなっているのか不明だが、土手になっているのだろう。

灌木に映えるからなのか、左岸に沿った住宅の全てが白壁だ。
一方、右岸沿いに延びていた殺風景な白いガードレールは姿を消し、鳶色のアルミサッシの柵に変化した。
これは歩道と牟呂用水水面までの落差が2mほどになり、危険防止の目的も出てきたからだろう。

下流側を見下ろすと水路幅は8m近くに広がり、5月の上旬ということもあって、両側の樹木の緑が水面上を覆い、先の視線を遮っている。

樹木の梢越しに覗く、両岸の建物はいずれも白壁だ。

上旭橋から下流130m以内に架かった旭橋に移動。
旭橋は南北幅が60m近くある旭橋交差点と一体になっており、橋のイメージは無い。
60m幅の橋を架橋するよりも暗渠に用水を通す方が現実的だからだろう、牟呂用水は旭橋をくぐった直後から暗渠に入っているようだ。
旭橋は上・下流とも立ち入れない旧旭橋(?)と緑地帯に挟まれていて、牟呂用水は見えないので、撮影はできなかった。

旭橋交差点の南100mあまりの西新町には暗渠の出口があった。
暗渠の出口を見下ろすと、水流が速く、白波が立っている。

水路幅は9mほどに広がり、両岸に高水敷が設けられているようなのだが、左岸の幅の狭い高水敷には雑草が繁殖しているのに比して、右岸の白い高水敷は幅も広く、水面からもかなり高くなっている。
おそらくこの高水敷内は暗渠になっているはずだ。
牟呂用水は都心に向かっているのだが、雑草のせいもあって、旭橋交差点上流側より、むしろローカルな雰囲気になっている。

西新町の暗渠出口から下流50mあまり下流の新町橋側道橋に移動して上流側を見ると、目の前にも暗渠出口にも水管が通っていた。

上記写真右手(左岸)に見える縦縞の建物は空手道場のようだ。
右岸(上記写真左)の護岸の壁には牟呂松原幹線水路を含めたここまでで、初めての壁画が高水敷脇に装飾されていた(ヘッダー写真)。
石に彩色してコンクリート壁にはめ込んだモザイク画で、鯉、鰻、亀らしきものが表現されている。
かつての、牟呂用水に見られた動物だろうか。
プロの画家の手によるものではないようだ。

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いよいよ、高水敷を伴った牟呂用水は豊橋市の都心であるJR豊橋駅まで1.7km以内に迫って来ました。

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