今朝平遺跡 縄文のビーナス 92:巨石な古墳
愛知県豊田市加納町の藤山一号噴から猿投町(さなげちょう)の池田一号噴に向かいました。
猿投町の池田一号噴は県道6号線猿投東インターチェンジの南80m以内の池田の丘陵上西南端に位置していた。
下記写真は池田の丘陵部を東を南北に通っている県道13号線から撮影したもの。
池田 丘陵の南側を東西に通っている表道路脇に愛車を駐めて、徒歩で北に立ち上がっている丘陵上に向かう山道を登って行った。
丘陵上には草原が開けており、左手(西側)に円墳があり、登ってきた道の正面に南向きに石碑が祀られていた。
石碑の前には左右に笹竹が立てられ、その左右の笹竹に注連縄が掛かっていた。
石碑には「山之神」と刻まれ、基壇として方形の石が2段に重ねてある。
小さな石碑だが、この丘陵の地主神なので、ご挨拶をした。
丘陵上の草原には山之神碑と藤山一号噴があるのみで、草原の北・東・南の3方は潅木で囲まれている。
その丘陵上の西南の端に笹に覆われた円墳が存在した。
墳丘には数本の樹木が生えている。
豊田市教育委員会の製作した案内板『愛知県指定史跡 池田一号墳』には以下のようにあった。
池田一号墳は下記記事で首魁紹介した藤山一号噴より400年ほど新しい墳墓だ。
池田一号墳の南側には通路が通っていた。
墳丘前通路は丘陵上の端で切れており、そこから丘陵下にあるアスファルト合材を製造している工場群の屋根が見下ろせた。
丘陵端から通路を数メートル戻った南側に池田一号噴の石室入り口がある。
上記写真は東側から石室入口を見たものだが、小型の石を組み合わせた部分が無く、大きな石だけが組み合わせてある。
本来ならこの部分は憤土で埋まっていた部分だが、憤土の土と羨道(せんどう:石室入り口通路)の石は無くなっている。
下記写真は同じ石室入口を反対側の西側から見たもの。
石室の天井は腰を屈めないと入れない高さで、前室を通して玄室とその入り口の袖石を撮影したもの。
石室内も小型の石はほとんど使用されていない。
下記写真は玄室内から前室と入口を撮影したもの。
前室では小型の壁石が1コ外れて落ちていたが、外れたのは構造材ではなく、隙間を埋めるための石だったことを示している。
池田一号噴からは築造者の大型の石のみで築造しようという意思を感じる、特徴のある墳墓だった。
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この日は池田一号噴から猿投山の御船石に向かいましたが、豊田市にはもう1基、御舟石(おふないし)が存在します。2012年10月、猿投山の御船石を見る1週間ほど前に御舟石も観に行ってますので、その周辺の古墳とともに紹介していきます。
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