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食日記16:恩師について&私の知ってるだんご汁の種類と作り方のコツの話

恩師の話を 先にします

現在私は飲食店コンサルタントとして開業して早や33年目になりました。思い返せばサラリーマン時代以降に、お世話になった仕事上の恩師が3名様
いらっしゃいます。その方たちを少しご紹介いたします。

■ファミリーレストランジョイフルの創業者 穴見氏

  大分県の中でもローカルな南部の焼肉チェーン店10店舗を経営されていた穴見氏を、食器の販売で知り合い、
以降10年間ほどジョイフル1号店から36号店迄、年商50万円から
10年後の年商5000万円まで、私のいた会社に恩恵を頂いた方です。

当時は、月間食堂主催のアメリカ視察ツアーが盛んで、年に2回ほど社長達一行は、アメリカ視察に行かれていました。
穴見氏は、当時のアメリカで学んだファミリーレストランの「最新の飲食業の法則」をかいつまんで、商談の合間合間で私に教えていただきました。

  その後コンサルで独立してからは、2度ほどジョイフルさんから契約をいただきました。炭火焼のハンバーグレストランづくりとアジアンレストランづくりです。
いずれのお店も短命でした。手作りの美味しさを前面に出した方法と機械化効率化した多店舗展開チェーン店方式の方向性の違いで各1店舗で
消滅してしまいました。

福岡市場に上場された時に、創業者利益が200億円になったと言われて、
これは、会社の危機の時に使うとその時に言われておりました。

多くの大切な基礎知識を、生き馬の目を抜くような創業経営者の方から、
直に相対してお教えいただいたことは貴重な財産として、
今も私の根幹の一部になっています。ありがとうございます。
*10年近く前にお会いした時には、もう覚えておられませんでした。

■老舗の飲食チェーン 日向観光グループ 故 秦氏

  私がコンサルとしてバブル末期の2~3年間の売上絶頂期を経験できたのは、この社長のおかげです。
当時の居酒屋御三家の中の1社でした。契約をいただきメニュー作りや社内改革に努めて、数年後には年商12億円台に会社は成長しました。
そしてこの知名度のある会社と契約していることを広めていった過程で、
数社以上の契約をいただき、私一人で15社の契約で睡眠時間4時間余りという生活をした時期でもあります。
一人で年商が1500万円を超えた時代でした。今でもすごいと思います。
コンサルの粗利益率は94%ですので、当時はすごいでしょ。

この第2創業社長さん(親から受け継ぎ会社をさらに成長させた)の言葉で
今も思い出す言葉が二つあります。
ひとつは、
「経営者の能力レベル以下の社員しか社内には残らない」
 後にこのことも実感していましたが、経営者自身の能力以上の社員を
 離反させないためには、自分の能力を補完強化する片腕役を持つことで
 解決できると思っています。

もう一つは、
●「経営者は人の苦労と金の苦労が仕事だ」
 これは、コンサルというサポートをしながら、一人で仕事をしたり、
人を雇用したりを体験をすると、確かにそうですねと思う次第です。

*数年前に60代で不慮の事故がもとで亡くなられました。
 もっと長生きして一緒に美味しいお酒を飲みたかったですね。
 私が契約終了後に、
 居酒屋をしていた時期もよくお見えになってお世話になった方です。
 飲酒運転でベンツに乗って帰っておられました。。。。


最後の人は、存命ですが大変な生活をされている
■だんご汁&ステーキハウスの経営者 高原氏

  私が食器の営業マン時代に、だんご汁のお店の裏に、2階建ての
ステーキハウスを開業された時に、食器や備品を500万円ほど買って
いただいた方です。
それまでも、実の息子(弟?)のように大変かわいがってくれており、
納品に行っては、珈琲やだんご汁はもちろん、夜定食も限りなく無料で
いただいた感謝しかない方です。
私が食器の会社をやめてコンサルで独立すると言ったときに、
心の底から反対を唱えた唯一の方です。

  昨年(令和3年)の夏はちょくちょくお会いしに行っていました。
食欲がないと聞いていたので、魚を買って持って行ったり、寝酒の酒も
持って行ったりという具合でした。癌を罹病されていました。

この方も立派な創業者の方のお1人です。
おそらく従業員さん以外は知らないと思うだんご汁についてのお話を
ここに少し紹介しておきます。
もし、ご自分で製造販売されるなり、研究されるなりする時のヒントに
なれば幸いと思います。(*そうでないと自然消滅すると思っています)

だんご汁の話

  この高原氏の経営していたお店は、以前は福岡県吉富町にあり
「俥茶屋」というお店でした。
手前がだんご汁のお店で、奥がステーキハウスでした。
高齢になりお店を売却された後、自宅の一部を改造されて、だんご汁や
ステーキを予約客におもてなしされていました。

その20年位前の元気な全盛時代に聞いた話です。

俥茶屋のだんごの形

だんご汁のだんごの形2

2種類の粉をあわせる
  1,薄力粉と強力粉を合わせる 硬さは「耳たぶの固さ」が基準

  2,金属の桶(又は洗面器状のもの)にきっちり平らに詰めて、
    濡れふきんをかけて乾燥を防ぐ  → 一晩置く

  3,1番置くと、2種類の粉がひとつに馴染む(同化する)
     
と教えられました
    *仕込んだ分が翌日使用分になります。
     後年は、練ってその場でだんごを作ったりもしていました。

  4,1人前の分量を手に取り、平たく指で伸ばし一口大にして、
    写真のように親指の腹でぐっと押しなべて、このお店のだんごの形
    ができます
    
*一方がやや厚く、反対の端の方が薄くなります。

  5,煮えるまでに15分ほどかかります
    ピーク時対応では7~8分目迄前もって茹でておく、または
    スチコン仕上げをしておくことです。
    茹でて冷凍する場合は平たく固めます。それを何段にも重ねて冷凍
    します。
    だんごが半煮えになってから、野菜を固いものから先に入れます

    (入れる食材)
    かぼちゃ、人参、揚げ、少量の豚肉、里いも、キャベツ、ごぼう
    等。
    *生を使う場合はやや薄く、少し厚目は前もって蒸しておく。
     (茹でると旨味が逃げるし崩れやすい)

  ●味付け
  1,味噌は田舎みそ+いりこだしを使う
    *凝る場合は2~3種類の味噌をブレンドして使用する。
    *自家製のいりこ味噌を作ってもいい。

その他のだんごの形を4つほどご紹介します

大分県玖珠エリアの子育てだんご汁

だんご汁のだんごの形1

  生まれた赤子に乳をあげる母親にたくさん乳が出るようにと、食べさせたのがこの子育てだんご汁と地元の人に聞いた覚えがあります。
白玉の大き目なものを作り、指か手で半分押しつぶした形です。
独特の形をしています。具材は、先のものと同じようなものです。

私の故郷の実家で作っていた北九州の田舎のだんご汁

だんご汁のだんごの形3

   難点はごつごつと分厚いところがあるので、15分以上炊いても煮えにくい感じがあります。
小学生の頃は、ごはんが足りずに追加で作るときに、みそ汁の余り物に、
ぶち込んで速攻で炊いて作っていたと記憶しています。
やはりいりこ出汁の効いた田舎みそでした。

■大分のだんご汁 (これはその簡易型です)

だんご汁のだんごの形4

  30分ねかせるまでは同じですが、
簡易型は伸ばして、すぐに鍋にだんごを入れます。
本来の大分のだんご汁のだんごは、「伸ばして数十分おいてから、縦に半分に割く」作り方です。(*私はうまくできませんでした)
古くは、「だご汁」と呼んでいました。熊本でも同じですね。

こんなものもあっていいかなと思うだんごの形は? 

だんご汁のだんごの形5

  うどんにも幅広な面があるように、地方によっては幅広な麺のだんご汁
があってもいいかなと思います。
1cm幅でも5cm幅でもいいかなと思います。

これからは、
自家製のだんご汁や麺でしっかり社会貢献
しましょう!

安くてうまい!が必要な時代です!

(了)

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