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いっぱいいっぱいになりそうなときに思い出す話

時代背景や状況が詳しくわからない、どこかの記事で見かけただけの話なので個人情報などはぼかして書きます。(少なくても20年以上前の話)

ある女性が、出産後の疲労と育児の不安で日常の家事がままならなくなり、地域の支援サービスのヘルパーさん(以下:スタッフと記載)に家に来てもらったそうだ。
とりあえず、家を片付けようと出せずにいたゴミの処理を頼んだところ、
そのスタッフは、分別などせずそのまま一つの袋に全て投げ込んであっという間に終わらせたそう。
日本のどこかでの話だけど地域性や明確な時期はわからない。その後、そのままゴミとして処分したのか、再度分別し直したのかまでは覚えていない。
この話で印象深かったのは

「これなら、わざわざ頼まなくても自分で出来たよ…」

と、その女性が言っていた…だったか、私が思った感想なのか今となっては覚えていないそういうところ。

私がこの話を何かの記事で見たのが10年近く前で、確かそのときに女性のお子さんは中学生だったはず。産後のすごく大変な時期を振り返って書かれたものだったと思う。
自分が実際困っているときに「ヘルパー」という名の人にそういう対応をされたら唖然とするかもしれないし、二度手間になったら腹が立つかもしれない。
でも、「過ぎたこと」のお話のひとつとして考えると、その「ヘルパー」をしていたスタッフさんみたいにシンプルに物事を捉えられる人はなかなかいないんじゃないかと思った。
ごちゃごちゃしてしまうものは、難しく悩む前にぱっと片付る。自分が思い悩んでいるときに、こういう人を見かけたら固定観念が吹き飛ぶ気がする。こういう人もいることを知ったら、概念が多少変化するんじゃないかな。
多分、今の日本のほとんどの地域では、分別ルールを守らないとゴミを回収してもらえない場合が多そうだからそのまま真似したら自分が困ることになりそうだけど、思い詰めない心構えというか、気が軽くなる生き方は少し学べそうな気がする。
自分が究極に疲弊しているときにやって来た方が「普通はこうする」というレベルの想像を超越していたけれど、その人に頼むか、結局自分でなんとかしないといけない場面。
困惑とか混乱とかそういう経験をして、頑張りすぎなくなったり、極限まで疲れないように人生をセーブするようになるのかなぁなんて考えたのでした。

なんとなくのまとめ
・他人に依頼した場合、自分の思ったとおりに動いてくれるかまではわからない→自分が疲弊しているときにどこまで口出しできるものか疑問。また、任せたことに口出しするとその後がこじれる場合も考えられそう。
・他人に動いてもらうには、自分が何かをするよりも難しい場合があることを覚えておく→口出しが出来る関係性を築いたり維持することは簡単ではない。

私は、以前通勤の途中に、他人のゴミ出しに「今日はこのゴミの日じゃないよ」と注意して持ち帰らせている人を見かけた記憶が残っているので、多分、これからも自治体のルールに従わずにゴミを捨てることはないと思う。ただ、疲労がピークに達したときにいつでも正確に分別し続けられるかは疑問でもある。
リサイクルに協力する気持ちはあるけれど、複雑すぎるのは負担。
物事を複雑にするのは余裕があるときのゲームとか趣味のようなもので、基本はシンプルに、やりたい人だけ複雑な方法を選べるような世の中にもっと変わっていったらいいなぁ。

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