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佐目-歴史探索

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滋賀県多賀町の小さな山村の歴史を調べながら書いています。 八百万の生みの親、伊邪那岐大神まで行かなければわかない歴史の深さにヘトヘトになりながら、謎を一つずつ解明しています。自分… もっと読む
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佐目05-歴史探索 永源寺佐目の伝承

永源寺の佐目は、永源寺ダムの下に沈んでいる。今回、佐目氏の事を調べるにあたり、その時の資料や写真を見たが、同じ名を持つ村に生まれた者として、住民の方のお気持ちを思うと心が痛む。 離れられても佐目区として自治会があるという事で了承を頂き、永源寺の「佐目文書」の写しを東近江市教育員会のご協力の元、撮影させて頂いた。 まだ、調べている途中なので、どうしようかと迷ったが、ネットで検索しても出て来ないので、私なんぞより、もっとちゃんと調べて頂ける方が現れてくる事を願って、現在 わかる

佐目04-歴史探索 佐目氏の末路と木地師

佐目01-歴史探索 「02-佐目氏は和氣氏より出づ犬上郡佐目村に住し氏とす」 に、多賀の佐目から、永源寺の佐目に「佐目和気氏」は引っ越した事を書いた。 いつ頃、なぜ移動したのか。その事で佐目はどうなったのか。そのあたりを探りたいと思うが、はてさて。 まずは、文献に残る「佐目殿」を追いたいと思う。 01-佐目氏は和気氏より出づ犬上郡左目村に住し依て氏となす近江愛智郡志. 巻2 昭和4年 滋賀県愛智郡教育会 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号 77 昭和4年に

佐目03-歴史探索 古墳時代と犬上縣主

○○天皇(※○○年)の西暦は、便宜的に「炉辺談話より引用」しているので公式な年代ではありません。今回は特に、読むのが辛くなるややこしい神様の名前がいっぱい出てきます。 01-前回までのまとめさて、佐目01、02の歴史探索では ・佐目の和気殿は、皇室出身だろう事。 ・11代垂仁天皇から12代景行天皇およびヤマトタケルが日本を支配した時期、上記(※○○年)で表すと、西暦283年~323年(50年位後だという説もある)の間に佐目近辺の領土が与えらた和気殿が、地名から佐目和気氏

佐目01-歴史探索 和気佐目殿と犬上君

01-はじめに明智光秀近江出身説を調べる途中で、出てきた多賀町佐目の歴史。 残念ながら、佐目の村からは今の所、江戸以前の文書などは殆ど出てきていない。昭和の多賀町誌にも佐目文書というのはない。 しかし「ない」という訳ではなく、調べられていない、もしくは、詳らかにする事を拒んだのではないかと思われる。 先祖の歴史を知る中で、村に対しての小さな「誇り」がいくつも生まれ、縄文後期から人の営みが続いているのに、こんな便利になった世の中で、村が消滅に向かっているのは、実に申し訳ない気

佐目02-歴史探索 縄文・弥生・古墳

00-参考資料以下の資料を参考に、佐目の年表に犬上氏等の歴史を入れた4世紀までのメモを作った。○○天皇(※○○年)の西暦は、前回の最後に表を掲載した「炉辺談話より引用」しているので公式な年代ではないが、参考にした。 1.『古代の芹川、犬上川扇状地開発と多賀信仰』 小菅 一彦 著 本当は歴史家になりたかったという彦根市立病院の院長もされた小菅先生に頂いた多賀の古代を知る貴重な自費出版の本。以下(小菅) 2.『小野妹子・犬上御田鍬とそのふるさと』 安土城考古博物館にお勤めだっ