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明智光秀 近江出身説

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明智光秀が 近江 多賀 佐目の出身であるという事を前提に 今まで研究されてこなかった地域の伝書、多賀大社、本願寺番方 法蔵寺佐目道場、六角氏との関係など、マニアックに検証したいと… もっと読む
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2019年6月の記事一覧

07.本願寺と佐目道場と光秀

『淡海温故録』に 明智十左衛門が土岐成頼に背き、六角高頼を頼って2~3代もの間、佐目に住んだとあり、息子である明智十兵衛光秀・・・とあります。『淡海温故録』がウソかマコトかは、わかりませんが これを元に いつやってきたかは、こちらのサイトで検証しています。一応、1480年と仮定してみました。 今日の本題は、浄土真宗 本願寺と 明智家の関係についてです。1470年 近江をほぼ二分して戦っていた佐々木京極と佐々木六角高頼。六角高頼は、京極氏が内乱をはじめた期を見てか、まずは佐目

06.まずい! 明智十兵衛光秀の家紋って?

あーどうしょう。 先日、井伊美術に明智光秀公から一時期家臣だった木俣守勝がもらったという具足櫃に「桔梗紋」が入っているのを見つけました。 あらカワイイ! などと tweetした後に まてよ! と気が付いてしまいました。単純に「水色桔梗紋」で検索して、光秀公のご子孫さんが書かれた本の表紙、『美濃源氏 土岐氏累代記』(S57)もチェックして、既に看板にまでしてしまった明智家の家紋。 そう、違うのよ。。。桔梗紋なので、もちろん桔梗の花なんですが、確かに具足櫃(箱)の方が、桔梗の

05.更に古い、光秀「犬上衆旧き好しみある故」

04.明智光秀公の一番古い出自の文献 にて 『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88) 『江侍伝聞録』は、寛文12年(1672) と、今のところは出自の一番古い伝承とお伝えしました。 因みに、 いわゆる作り話でありながら、後々色々な伝承に登場する『明智軍記』は、江戸時代中期の元禄初から15年(1688年~1702年)で、 質が高いと言われている『近江輿地志略』は、1734年成立なのだそうです。 この『近江輿地志略』の佐目村の所にも、『淡海温故録』に書かれていた事を、ズバ