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07.本願寺と佐目道場と光秀

『淡海温故録』に 明智十左衛門が土岐成頼に背き、六角高頼を頼って2~3代もの間、佐目に住んだとあり、息子である明智十兵衛光秀・・・とあります。『淡海温故録』がウソかマコトかは、わかりませんが これを元に いつやってきたかは、こちらのサイトで検証しています。一応、1480年と仮定してみました。

今日の本題は、浄土真宗 本願寺と 明智家の関係についてです。

1470年
近江をほぼ二分して戦っていた佐々木京極と佐々木六角高頼。六角高頼は、京極氏が内乱をはじめた期を見てか、まずは佐目から美濃南濃町に分祀されていた十二相神社を家臣の小川氏に再建させています。ついでに、関係あるかどうかわかりませんが、六角氏の担当エリアだった私の先祖と深いかかわりのある甲賀21家の佐治神社も再建されています。

1472年(文明4年)
豊郷町石畑の山道沿いにあった 近江七弘誓寺の一つが 名前を「法蔵寺」と変えて佐目に移転しています。応仁の乱で、目抜き通りでの布教が大変になった事と、伊勢・美濃への布教に好都合な「近江戦国山の道」ぞいにある佐目という地にを選んだのではないかと思われます。

本日、その法蔵寺の御住職にお話しを聞きました。上の写真は その後河瀬に移転した法蔵寺の現在の写真です。

通常、普通の家を借りて、親鸞聖人の教えを勉強するだけだったそうで、道場といっても「武闘」を習うわけではないそうです。ただし、佐目道場に移った「法蔵寺」は通常の道場と違い「寺」そのものが移転したのであり、尚且つ、近江 湖東地域の本願寺派の寺として最も有力な寺院であったとの事です。

これまた、ついでですが、佐治氏の二男か三男かは忘れましたが、同じ年知多半島に行き、後 信長・秀吉・家康の女系系図に散見する大野佐治にのし上がっていきます。そんな、動きのはげしい時代でした。

1475年
多賀清直/六角高頼・斎藤妙椿が 土岐成頼・斯波義廉の援軍で多賀高忠(京極)に勝利しますが、1480年の文明美濃の乱では「土岐成頼と利国」は北近江の京極氏を頼り、南近江の六角氏は利蔵側に味方しました。
そして、利蔵は負けて六角氏を頼り、その後京都に行きます。

つまり、明智家が佐目にやってきた時には、
既に浄土真宗「佐目道場」はあったという事です。
しかも、とっても近くに…

後に光秀公が関与する 朝倉家がある 福井一乗谷も 長嶋一向一揆 10年にも及ぶ石山本願寺と信長の戦いも 法蔵寺佐目道場 住職(というのかどうかわかりませんが) 代表は、常に 本願寺の門主の近くにおり、石山合戦の後、和睦に動いたのが法蔵寺順明であり、本願寺顕如の紀伊鷺森への下向にもついて行ってます。

因みに、石山合戦の時には 雑賀衆の鈴木孫一等からの、佐目道場宛てに近江湖東湖北の軍勢を集めて出撃せよと要請が来ています。

当時、順明は若く(10代)、間に信長方の光秀が関与していたと考えると スムーズに事が運んだのも納得できます。

私は、全く通説を知らないので これが他の資料と整合性がとれるのかどうかはわかりません。
現在は東西にわかれた本願寺ですが、当時はまだ分裂する前であり、この事を補完する興味深い記事が 東本願寺のwebページに掲載されていると友人に教えてもらいました。

この中に
「 光秀と本願寺との因縁は、江戸時代の真宗史書(『大谷本願寺由緒通鑑 第三巻』、『金鍮記 巻上』等)も伝えている。本能寺の変の前月、四国攻めのため堺周辺に集結していた織田の軍勢は、実は当時紀州(和歌山県)にあった鷺森本願寺を目標にしていた。六月三日、織田軍の来襲によって本願寺は滅亡するかに見えたが、突然織田軍が引き上げたため危機を脱した。信長が本能寺で光秀に討たれたことを知ったからである、と伝える。信長時代の記録には見えず、東西本願寺が光秀を顕彰したという事実もないが、興味深い伝承である。」
と、あります。

又、多賀大社と関係が深い 彦根 都恵神社(つえじんじゃ)の由緒書きに
「大祖親鸞上人明知日向守惟任ノ實葉父死ノ手ヲカリ、京都二条ノ本能寺ニシテ罰シ玉フ・・・」とあり、まだ 前後の意味やこの文書のバックボーンはわかりませんが、江戸時代に私たちの地域では、親鸞聖人(本願寺)と明智光秀とは何らかのつながりがあったと考えていたように思えます。

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三銀蔵

三銀蔵の片付けから、先祖が「表は坊人、裏が忍者」と言われる多賀大社の今はなき「坊人(ぼうにん)」だとわかり、「明智光秀が近江・多賀の佐目」出身だとてう資料に目が留まり、地元の口伝と一致する事から、通説とは違う角度から調べはじめた事を中心に書いていきます。

明智光秀 多賀出身説

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