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先人へのリスペクトがないエンジニアは恥ずかしい

# 今回はちょうど良いネタを思いつかないので、説教めいた話を書いてみた(なんでやねん!)。説教が嫌いな人は読まないことをお勧めする。

エンジニアを長年やっていると、いろんなタイプのエンジニアに出会う。ネットが普及した現在においては、リアルだけでなくネット空間上で様々なタイプのエンジニアの言動を目にすることが多くなった。

そうした中で、ときどき非常に悲しくなるというか残念なエンジニアを見かける。

その一つが、先人(せんじん)へのリスペクトがない(ように振る舞う)エンジニアである。

例えば、「A言語はイケてるけど、B言語はダサい」とか、「Xフレームワークは◯◯が可能なのだから、Yフレームワークも◯◯をサポートしろ」とか、「✗✗AIはクソだ!使えねぇ!」みたいな感じで、上から目線の発言をしてしまうエンジニアである。

彼・彼女らが、これらの製品やサービスに対してきちんとお金を払っているユーザであるとか、その製品の開発に関わっているコミッタやコントリビュータならまだ分からないでもない。でも、ほとんどの場合は対象になっているのはオープンソース製品だったりし、彼らは単に無料で利用しているだけのユーザなのだ。

ネットもOSSも存在しない「原始時代」からコンピュータに関わってきた身としては、どうしてこんな言動ができるのか理解に苦しむ。そもそも「ないなら作れ」「文句があるなら自分で改良せよ」が自らモノを作れるエンジニアの矜持でありベースラインであったはずだからだ。何の努力も貢献もなく、ただただ文句だけ言っている人たちは、既存の技術やソフトウェアを原初から存在している永久不変の自然物のように思っているのだろうか?

計算機の世界は全ては人工物であり、苦心してそれを作った人がいる

これだけIT技術が普及した今の世界では仕方のないことかもしれないが、私達はついつい、身の回りにあるハードやソフトやITサービスが自然に存在するものであるかのように考えてしまう。これらは、「あって当たり前」のものであり、自分はそれらから「よりどりみどり」で必要なものを選べばよい立場なのだ、という感覚になってしまいがちである。

しかし、これらの膨大な技術と製品はすべて人工物であり、それぞれ誰かが考案し開発したものなのである。先人の膨大な苦心と努力の結晶なのだ。ある日突然、空から降ってきたものではないし、森の奥で自然に生えているものでもない。

(今では)ありふれたノートパソコン1台とってみても、そこに使われているCPUや液晶パネル、その他の電子部品やコネクタ、ボディを固定しているネジや接着剤など、どれをとってみても、それを実現して世に出してくれた膨大な数の人々の、長年の努力と知恵のカタマリなのだ。ざっと見積もってみただけでも、このパソコン一台を成立させるために関わっている人の数は、合計すれば100万人でも足りないぐらいの規模感であろう。それほど大きい裾野の上にこのパソコンが存在しているのだ。

ソフトウェアも同様である。いま流行中のプログラミング言語も、1970年代生まれの技術であるC言語で処理系が書かれていたりする。そこに搭載された最先端の言語機能も、過去のさまざまな言語での研究や経験からのフィードバックによって今日の姿がある。すべては歴史=先人の膨大な努力の積み重ねの精華(せいか)なのである。

だから、素人ユーザならまだしも、技術の専門家たるエンジニアがこうした歴史観や先人の仕事に対するリスペクトがないのは恥ずかしすぎると思う。

もちろん自分の利用目的に対して合う・合わないという意味で「A言語はよいがB言語は悪い」という言い方は成り立つ。しかし、だからといって「B言語はクソだ」みたいな話になるのは、考え違いも甚だしいのではないか。そういう発言をする輩には「そもそもあなたは自分で言語やOSの1つでも作ったことがあるのですか?」と問い詰めたくなる。

仮にこのB言語が現在からみれば古びた言語であったとしても、実際にそれが存在しているということは、開発された当時には、これを作った人の問題意識やニーズがあったわけで、B言語は立派にその役にたっていたのである。そして、B言語によって生み出されたソフトやサービスがビジネスを生み、当時の業界に貢献したおかげで次の世代へとつながり、また次の技術が登場して次の時代が発展し・・・といったことが繰り返されて今の姿があるのである。

興奮して同じような話を繰り返してしまった・・・

歴史を知らない人間は無教養である

話をまとめると、私が言いたかったことは、エンジニアたるもの専門家として技術の歴史もなるべく知っておきたいし、詳しく全部を知ることができないにしても、少なくとも先人の存在を意識して感謝とリスペクトの気持ちは忘れないようにしないと恥ずかしいよ、無教養な人間に見られるよ、ということである。

我々はタダ同然で大量に他人の成果を日々利用させてもらって生きているのである。(10万円のパソコンも100万人の努力のおかげと思えばタダ同然に思えてくるし、無料で使えるOSS言語などもすべて神ツールである。)

したがって「先人に敬意をはらおう!」という話は精神論や道徳などではなく、歴史の構造や技術世界の仕組み理解すれば ロジカルに自然に湧き上がってくる感情であるはずで、だからこそ、そんな基本的なことも分からないようでは恥ずかしいのである。

今回書きたかったことは以上です。
お読みいただきありがとうございました。




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