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【煙展】夜ごはんはふたりで。▽針衛門

 じゅああああ・・・
 トントントントン・・・
 ぐつぐつぐつ・・・
 カタッコンッ
 コンコンコン
 ガチャ
 「お。今日、生姜焼き?」
 それと豚汁。
 くんくんと醤油と生姜の甘辛い匂いを辿り、薄くて頼りないクッションに腰を下ろす。もっとふわふわもっちもちのクッションもあるのだが、長身の彼には丁度いいのか、その頼りないクッションがお気に入りらしい。
テーブルには二人分の生姜焼き。豚汁とご飯のお椀は彼のはもはやどんぶりだ。
 「生姜焼きに豚汁って、豚パーティーだな。」
 パーティーってほど品数はない。本当は豚汁じゃなくて普通の味噌汁にしようと思ったのだが、ストックの豚肉がそろそろ傷み始めてきたので、使い切ろうと急遽豚汁になった。しかも、生姜焼きの肉も豚汁の肉も豚コマである。一人暮らしの安月給には、ロースやらバラやら買うより、豚コマのジャンボパックを買って小分けにストックした方がコスパがいいのだ。
 「豚コマってバラみたいに重くねえからバクバク食えちゃうよなあ。安いし。」
 彼もこう言ってくれるのでありがたい限りである。
 「いただきま~す。・・・ん!今日の生姜焼きうまいな。甘めというか、生姜もチューブのじゃなくてスライスして入れてんのな。シャキシャキしてうまいわ。鰹節も入ってるし。どこのレシピ?」
 「あ。この味付け、おばあちゃんからの生姜の佃煮のみなんですよ。これで生姜焼きすると簡単だよって手紙に書いてあったんで、やってみたんですけど・・・。」
 「へー!頭いいなあ。うまいし、早いし、簡単だし!うまいよ。」
 彼は絶賛しつつ口いっぱいに、米とかき込み、豚汁に手をつけた。
 生姜焼きはめちゃくちゃ褒めてくれたが、問題は豚汁だ。なんせ初めてつくったのだ。CMで某人気俳優が手際よく豚汁をつくり、それをハフハフしながら食べているのを思い出しつくってみたら、全然手際よくいかなかった。豚汁に入れる豚肉は先に焼くのか、野菜と一緒にゆでるのかも分からず、とりあえずあたると怖いので焼いたら鍋の底に焦げ付いてしまった。慌てて水を入れたらじゅわあああっと熱々の湯気にやられた。ボロボロである。根菜は小さく切りすぎて、大根に関してはもはやない。
 「ずずずっ・・・。」
 彼の口元に自然と目が行く。どうだろうか。
 「・・・うま。」
 ぽそっと優しくこぼれたその一言で一気に顔が緩む。素直に嬉しい。にやにやしているときもいとか思われそうなので、自分も一緒に豚汁を飲み顔を隠す。
 「ごちそーさま。」
 彼は行儀良くパンと手を合わせたあと、ぐ~っと伸びをした。私は最後の一口を口に流し込み、軽く手を合わせ、彼と自分の皿を流しへ運ぶ。蛇口を強くひねってしまい、勢いよく出てきた水でお腹がびしゃびしゃになった。私が何をしたってんだ。しかし、今日は金曜日。明日はお休みなのだ。お腹がびしゃびしゃになったところで気にする女ではない。
 「ねえ。明日予定は?どっか出かけるの?」
 「いやぁ、外には出ず、家でゴロゴロ映画鑑賞ですかね。」
 「じゃあ、明日の夜もいるな。俺、明日釣りに行くから収穫あったら持ってくるわ。夕飯にできたらいいけど。」
 「え!?私、魚なんてさばけないですよ!?内臓とかちょっと苦手ですし・・・。」
 「魚は俺がさばくから大丈夫だって。やってもらうっつってもちゃんと教えてやるから。まあ、また明日も来るから。んじゃな~。」
 よっこいしょと若いのにそんな声を出して立ち上がると、彼はそのまま帰っていった。
 
翌日、ゲリラ豪雨でスーパーの切り身を買ってくることになるとは想像もしていなかっただろう。


 彼女とのファーストコンタクトは去年の2月。真冬の夜中、10時頃だっただろうか。毎晩毎晩遅くに帰ってきてはつらい~だのさみしい~だのぐずぐずと泣く声がぼろアパートの薄い壁の向こうからきこえてくるのだ。やかましいとたまらずクレームを言いに行ったのが最初である。

 「はい~。」
とぐずぐずの顔でおでこに冷えピタを貼り、彼女は出てきた。顔も赤くフラフラで明らかに熱のある彼女を怒るわけにもいかず、とりあえず寝かせた。夜な夜な女の子の部屋に上がるというのも危ない話だが、倒れて頭を打ってしまっては大変だ。寝かせたらすぐに帰ろうと自分に言い聞かせた。彼女を支えながら部屋に入ったのはいいが、まあ見事に散らかった部屋である。部屋というかゴミだ。資源ゴミの大きなゴミ袋が何袋あるのだろうか。台所には栄養ドリンクの空き瓶とカップラーメンなどのカップでめちゃめちゃである。自炊をしていないのだろう。電子レンジはよく使われているように見えるが、炊飯器はピカピカだ。この光景を見れば、買い直したものではないだろう。
 ベッドに寝かせた途端、彼女の腹が助けろと言わんばかりにぐううううと鳴った。何も食っていないのかと聞くとコクンと頷いた。冷蔵庫を開けていいか確認をとり、いざ開けてみると予想はしていたが、栄養ドリンクの箱が三つ占領していた。栄養ドリンク専用ですと言わんばかりに栄養ドリンク以外入っていなかった。こんなんじゃまともに看病できないではないか。
 この時点ですぐに帰るという考えはすっとんでいた。自分のおせっかいな性格が完全に支配していた。昔から世話好きだった俺はよく友人から「お母さんかよ。」と突っ込まれていた。あのときは、友人の制服の袖口のボタンが取れかけていたのをみて直した時だっただろうか。今回も自分の中のお母さんスイッチが入ったのだろう。
 一端自分の部屋に帰り、看病できるようにいろいろ持ってきた。彼女の冷蔵庫に冷えピタが入っていなかったのを思い出し、自分でストックしていた冷えピタも持ってきた。お腹を空かせていることは、彼女の腹の音で十分理解したので、早速台所を借り、持ってきた食材を並べる。卵とうどん、粉末だし。質素であるが、病人には丁度いいだろう。手際よくくたくたおうどんをつくる。うどんをゆでている間も彼女に水分補給をさせたり、冷えピタを新しいのに変えたりなど、お母さんモード全開である。うどんもくたくたに煮えてきて、出汁の匂いにつられたのか、背後でぐううっと腹の虫が鳴いた。あんまりにも盛大に鳴ったので振り返ると、彼女は熱で火照った顔をより赤くして布団で顔を隠した。女の子らしいところもあるもんだ。部屋は汚いが、家具や雑貨、服も可愛らしい。ちゃんと女の子であることにお母さんはほっとしましたよ。なんて心の中で言ってみる。食器棚をあさり、お椀とスプーンを探し出し、くったくたのうどんをよそう。彼女のもとへ持って行くと、余程腹が減っていたのか、自分ですっと起き上がった。軽く手を合わせてから、はふはふと美味しそうに頬張り、ふわぁっと笑った。かわいい。もりもりお食べ。・・・この発想こそ、お母さんぽいな。
 あっという間に平らげると、幸せそうな顔で眠った。満足そうである。もう、大丈夫そうだ。皿を片付け、帰ろうと支度する。ドアの鍵を閉めてもらうために、彼女の肩を軽くたたくと「おかわり?」と寝ぼけながらのっそり起きてくれた。うどんが鍋に少しだけ残っていることを伝え、彼女の部屋をあとにした。


 ブーッブーッブーッブーッスッ。
 耳元でバイブするスマホを止め、重いまぶたを無理矢理上げる。
 「六時三十分・・・。もうちょっと・・・。」
 もぞもぞと寝返りを打つと、目の前に広がっているはずのゴミ袋の山がない。
 「・・・んえっ!?」
 がばっと勢いよく体を起こすと、カピカピになった冷えピタがおでこから落ちる。
 「・・・私、ゴミいつ出したっけ?」
 びっくりしている頭を落ち着かせようと、台所へ水を飲みに行くと、コンロに鍋が置かれていた。
 「・・・いつ鍋出した?」
 恐る恐る蓋を開けると、くたくたに煮たうどんが少しだけ入っていた。
 「あ。」
 うどんですべてを思い出した。うどんをつくってくれたのも、ゴミを捨ててくれたのもきっと彼である。
 「・・・夢・・・じゃあないよなあ、これはぁ・・・。」
 絶対にお礼した方がいい。けど、彼の顔がはっきりと思い出せない。うどんの味は鮮明に覚えているのに。幸運にも私の部屋はアパートの一階の端っこなので、お隣さんは一人しかいない。とりあえず、仕事帰りにお詫びの品を買おう。そうしよう。

 今日も今日とて、ブラックな会社に重い足を運び、理不尽に怒鳴られ、絞られ、部屋に着いたのは、夜中十時。左手にはお詫びの品。お礼といっても、男性の部屋の前に立つと緊張する。しかもこのアパート、インターホンがないのだ。時間も時間だし、ノックの強さにも気を遣ってしまう。というか、もうおやすみになられているのではないだろうか。と悩んでいると、ひとりでにドアが開いた。触っていない!私は触っていないぞ!
 「うおっ!?・・・びっくりしたぁ。なんだ、無事だったか。」
 ドアの隙間から身長の高いスウェット姿の青年が顔をのぞかせた。驚きと焦りで、バクバクする心臓を押さえる。お隣さん案外かっこいいではないか。と失礼にも顔をまじまじと見つめてしまう。
 「あ。わりい。ほら、このアパート結構音聞こえるだろ?時間的に、お前が帰ってきたんだなあって思ったら、ドアが開く音もしねえし、足音も止まっちゃうで、具合悪くなってうずくまってるんじゃないかと思ってだな・・・。」
 なんて、優しいんだ。彼だってびっくりしただろうに。
 「なんか、俺に用だったか?」
 そうだ。見とれている場合ではない。
 「夜分にすみません。昨日いろいろ助けて頂いたので。これ・・・。」
  きゅるるる・・・
お詫びの品を彼に差し出した瞬間、お腹が鳴った。なんてタイミングで!!私の馬鹿っ!
 「ふはっ。お前いつも腹空かせてんのな。飯、まだなんだろ。」
 そう言って彼はするっと部屋から出た。
 「どこに行くんですか。」
 お詫びの品も、お礼すらちゃんと言えてない。
 「お前の部屋だよ。飯つくってやっからさ。」
 いい人なのか、当たり前のように部屋に入ろうとする危険人物なのかよく分からない。けど、昨日お世話になったのは確実である。寒いので急いで彼を部屋に入れ、温かいお茶を出す。綺麗な湯飲みが一つしかなかったので、自分はお気に入りのマグカップにいれた。
 「昨日はありがとうございました。ご飯も・・・ゴミ出しも・・・。」
 「いやいや、勝手にやったことだし。ただのおせっかい。っていうか、俺が言うのもだけど、こんな簡単によく知りもしない奴、部屋に入れるなよ。世の中、いい奴ばかりじゃねぇんだから。」
 「え。悪い人なんですか。」
 「いや、悪い人じゃ・・・ねぇとは思うけど。」
 「もっと自信もってくださいよ。」
 「そんなこと言っても、自分でいい人です!とか言わないだろうよ。」
 「それも、そうですね。あはは。あ。これ、お詫びです。」
 彼にお詫びの品を差し出す。
 「おう。そんな、わざわざ・・・。ありがたく。」
 彼は差し出された袋をとり、中を見る。
 「・・・そば?」
 「はい。お隣さんに持って行くものといったらそばしか思い浮かばなくて。」
 「それ、引っ越しそばじゃね?」
 ・・・ハッ!
 「あ。え。ほ、ほんとですね・・・。よく考えたら、菓子折とかですよね・・・。」
 「あははははははっ!お前、面白いなあ。しかも、結構いいそばそばじゃん。俺、そば好きだから、お菓子よりうれしいわ。ありがとな。」
 どこまでも優しいな。この人は。
 「じゃあ、飯にしよう。これ、せっかくだからこのそば食おうぜ。」
 そうだった。ご飯つくってくれるっていうので部屋に来たんだった。
 「いや、あの。でも、おつゆとか、もろもろの食材はうちにはなくてですね・・・。」
 「昨日の時点でそんなもの分かってるよ。」
 ですよね~。
 「自分の部屋からいるもん持ってくるわ。ちょっと待ってて。」
 そう言って、彼は部屋に戻っていった。少しすると“いるもん”を持って戻ってきた。そのまままっすぐ台所に向かう彼の背中を目で追う。
 「なにそばにするんですか?」
 お腹をぐうぐう鳴らしながら聞いてみる。彼はにやぁと笑いながら振り返った。
 「教えねえ。」
 「なんでですか!楽しみ過ぎてお腹が暴走します!」
 「こええよ!大人しく、楽な格好にでも着替えて待っとけ。スーツしわになるぞ。」
 「お母さんみたいなこと言わないでください!」
 そんな風に反抗しながらも、暴走しそうなお腹を押さえ、大人しく部屋着に着替えに行く。寒いので、ふわもこ使用である。遅めの就職祝いだと姉がかわいいのを送ってくれたのだ。姉曰く、一人暮らし、社会人、男もいなければおっさん化するので家でもかわいいのを着て乙女を保て。ということらしい。そんな姉も、家でも可愛い部屋着を着て、外では婚活に勤しんでいる。おっさんにならないよう自分を律し、いい男をゲットするために必死である。しかし、うちの母はもうほぼおっさん化してしまっているので、相手がいるのも独り身も関係ないかもしれない。姉よ、がんばれ。
メイクもついでに落としてしまおう。昨晩、ぐちゃぐちゃのすっぴんを見られているのだ。汚い部屋も。もう、隠すものはない。
 メイクも落とし、部屋に戻るとふわっと出汁の匂いが鼻を通り、胃を刺激した。胃が待てず、暴走してしまいそうだ。わくわくしながらテーブルで待つ。意味もなくクッションをいじりながらテキパキとそばをつくる彼の後ろ姿も眺める。台所の勝手を完全に把握されている。あの一晩で。恐ろしいお母さん力である。
 「もうすぐできあがるぞ~。テーブル拭いとけ~。」
 彼はそう言い、テーブル用の布巾を投げる。パシッととりたかったが、ぼてっと落としてしまった。何事もなかったかのようにしらぁとテーブルを拭く。それにしてもいい匂いだ。
 テーブルを拭き終わると、目の前に蓋付きのどんぶりが置かれた。
 「どーぞ。召し上がれ。」
 彼は同時にかぱぁっと丁寧に蓋を開けた。
 「月見とろろそば!!」
 「ピンポーン。熱いうちに食えよ。」
言われなくとも!モワモワと幸せの白い湯気が立っている。ぷちゅっと黄身をつぶし、そばと絡ませる。念入りにフーフーッと冷ませばお口へインだ。
 「ズルルルルルルルッ。」
 とろろによってよりのどごし良くなったそばがのどを通り、胃に届く。ほわぁっと出汁の香りが口を満たし、口元が緩む。
 「おいひい。」
 「そりゃよかったよ。」
 彼は優しく笑った。
 「こんな美味しいご飯、毎日食べれたら幸せなんですけどねえ。」
 昨日のうどんにしても、今日のそばにしても絶品である。自分じゃつくれない。それ以前に母に似て料理はできないが。
 「つくってやるよ。」
 「へ?」
 そばを啜る口が止まる。
 「明日から晩ご飯つくってやるよ。」
 「え?本気で言ってます?」
 「食いてえんだろ?毎日、うまい飯。」
 「いや、食べたいですけど。そんな、悪いですよ。」
 「台所の勝手は分かってるし、ぼろアパートのおかげでお前が帰ってくるの分かるし。」
 「いやいやいや。ご飯作ってくださるのは、美味しいし、うれしいですけど、まだお互いのことそんな知らないですし・・・。」
 「ご飯食いながらじゃだめなのか。それ。お隣さんとの交流が一緒に飯食うってのはだめなのか?」
 「いや、まあ、いいと思いますけど。」
 「嫌か?」
 まっすぐに、私の目を見て聞く。ご飯も美味しいし、優しいし、お母さんみたいなところがあるけど、顔もかっこいいし・・・。
 「・・・嫌じゃないです。」
 「そっか。なら、明日から、ご飯つくってやるよ。あ、飯の作り方も教えてやれるし。俺、料理好きだしさ。んじゃあ、ごちそーさま。皿洗いは頼んだ。また明日な。おやすみ~。」
 呼び止める間もなく、玄関のドアがバタンと閉まった。明日もご飯を作りに来てくれるらしい。お隣さんが。なんだか、不思議なことになってしまった。残りのそばをかき込んでいると、玄関のポストにカタッと何か入った。確認しに行く。
 「チラシ?」
 ポストにあったのは、最寄りのスーパーのチラシだった。裏を見るとなんか書いてある。
 
―――欲しいのなんか買っとけ。お菓子ばっかり買うなよ。 隣の飯仲より

 「お母さんかよ。」
 ゴミ袋の中の大量のお菓子の袋を見られているのだ。すべてお見通しである。
 「隣の飯仲・・・。」
 どうやら、私たちのこの不思議な関係は飯仲というらしい。ご飯を一緒に食べるということなのだろう。たぶん。
 「明日のご飯、なんかな。」
 楽しみしている自分がいるのだから、不思議でありながらもこの飯仲という関係を受け入れているのだ。そばを食べ終わったばかりなのに、明日の彼がつくるご飯が待ちきれない。明日のご飯を予想しながら、二人分のどんぶりを洗った。


 ぐつぐつぐつ。
 コンコンッ
 「鍵開けてますよ~。」
 「おじゃましまーす。おわっ。やっぱ、中は匂いすげえな。スーツ避難させてるか?」
 「キムチ鍋にしようって言ったのそっちじゃないですか。スーツは避難済みです。もう、お母さんですか。」
 「ははっ。学んできたな。」
 「この間もんじゃ焼きしたときに痛い目見ましたから。」
 「えらいえらい。」
 
 寒い冬のあの出会いから丸一年がたった。丸一年たったからといって、特別なにもない。お正月やクリスマスとかのイベント事も関係なく、ただ美味しい晩ご飯を二人で食べる。それだけだ。
 一年前と比べて、私の冷蔵庫には栄養ドリンクの代わりに、新鮮な食材が詰まっている。ゴミもこまめに捨て、部屋も綺麗になった。彼が料理を教えてくれるおかげで、料理も少しずつできるようになってきた。変わらないことと言えば、彼との関係である。晩ご飯をほぼ毎日、一緒に食べる仲。それ以上もそれ以下もない。最初こそ、やっぱり何か企んでいるのかと警戒はしていたが、美味しいご飯を食べさせてくれるただただ面倒見のいい人だった。スーツに臭いがつくのを心配もしてくれる。もはやお母さんである。彼にとって、私は面倒のかかる娘くらいにしか思っていないだろう。
 「〆のラーメン買ってきたから、あとで食おうぜ~。」
 嬉しそうに笑いながらおかわりを注ぐ彼。
 彼のやさしい笑顔が好きだ。ご飯が美味しくできると嬉しそうに笑う。
 彼のつくるご飯もすきだ。
 彼のことが―――。
 「お前、顔赤いぞ。辛かったか?無理すんなよ?味噌足すか?」
 「・・・大丈夫です。暑くなってきちゃって。お鍋は温まりますね。」
 鍋の日はいい。こうやって、言い訳できるから。いつまで続くか分からないこの時間をこわさないために。
 目の前にいるのに、届きそうで、つかめそうで。
届かない、つかめない。
 いいのだ、それで。
 私には、彼と二人で美味しいご飯がお腹いっぱい食べれたらそれで。


 彼女と出会って丸一年がたった。クレームを言いに行こうとドアを叩いたあの日から。風邪を引いていた彼女にくたくたのうどんをつくった日から丸一年。特に変わったこともない。あの日、なんだか放っておけなくて、思い切って切り出した飯仲という関係。うどんを食べる彼女の笑顔が頭から離れなかった。口いっぱいに頬張って、幸せそうに笑う彼女があまりにも可愛らしくて。ついに俺のお母さんスイッチの母性本能が爆発したのかと思った。自分でもないだろうと思っていた飯仲という関係を受け入れてもらってから、お母さんモード全開で毎日お美味しそうなレシピを探しては、つくり、彼女の表情を伺った。好きなもの、嫌いなもの、コロコロ変わる彼女の表情を見ればすぐに分かった。
 彼女の笑顔を見ていたい。あの幸せに満ちた顔を。誰よりも近くで―。
 そう思ったとき、自分の本当の気持ちに気がついた。これは、お母さんスイッチとか関係ないやつだ。その気持ちに気づいたところで、彼女に思いを打ち明けられるわけがない。今の関係が居心地良すぎて。もし伝えたとして、受け入れて貰えなかったら、絶対にこの関係は終わってしまうだろう。美味しいご飯をつくれば、その時間は彼女の笑顔を独り占めできるのだ。
 ずるいなあ。俺は。
 気持ちに蓋をして、いつまでただのいい人を演じ続けるのだろう。蓋の隙間から漏れ出る煙を手で払いながら、ごまかしながら、いつまで続くか分からない彼女との時間を臆病な俺はかみしめながら過ごすのだ。

                           
おわり 

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