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バレエの神様に見放された聴覚障害者がバレリーナを雇ってバレエ公演を主催する理由

 昭和30年代。わたしの母はバレリーナの森下洋子さんのファンだった。彼女のようになれと娘のわたしをバレエ教室に入れた。
 わたしは踊る事が好きになった。人間の身体をどこから見ても一番美しいポーズがとれるのがバレエ。
 だが当時の先生は反応の鈍いわたしの扱いに困り、レッスンのたびにわたしのひじを掴んで立ち位置を指定した。「あなたの踊る場所は、ここよ」 と。
 今なら先生のとまどいがわかる。わたしは左耳の聞こえが悪かったが、母は誰にも伝えなかったから。当時の小学校の担任や級友にミミツンボといじめられても何も言わない。
「聞こえているふりをしなさい。目立たぬようにしなさい。いつかわかってくれるから」

 違うね。 
 聴力が悪いと言うことは、人間関係のコミュニケーションで不利になる。それを公表しないのは善意の人を惑わせ悪意の人の慰み者になるだけ。

 母が才能がないと愚痴る。楽しく踊るだけでは意味がない。それでやめた。
 というより、母はわたしが好きなことをするのを嫌がる。踊ること、絵を描くこと、小説を書くこと……例外は勉強。母は中卒で学問にコンプレックスがあった。従順なわたしは母の期待に答え医療の道に進んだ。周囲に聴覚障害があることを言わないまま……母も補聴器を髪で隠せとしか言わない。

 成人したわたしは自分のお給料でもってバレエレッスンを再開する。ちょうど「大人バレエ」 という言葉が流行ったころ。似合わないからやめろという母の皮肉も流せた。
 ところが病気で聴力がもっと落ちた。両耳に補聴器をつけても音楽も先生の声も聞こえない。仕事も制限された。

 聴力が悪いとなぜ、こんなに不便なの? 
 ましてバレエでは、聞こえないと踊りにくい。
 わたしは常に観客であるべきなのか。
 
 

 わたしは母の目が届かぬ狭い部屋で創作するようになる。踊れない分、自作をいつかバレリーナに踊らせてみたいと考えながら。


 バレエの発表会に出たつもりで貯金を続けた。それで夢を形にする。日々精進するバレリーナたちを輝かせたい。ド素人のわたしがバレエ公演を主催する。一生に一度、一回だけ。
 観客がいなくても平気。無名ならそれが当たり前。協力してくれるバレリーナにはちゃんと報酬をあげる。それでもって作品をネット配信しよう。 

それを楽しみに生きている。わたしの未来はあと少し。未来のためにできることはバレエ作品を残すこと。それまでは死なない。



 


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