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どうせなら、綺麗な言葉と暮らしたい

子供の頃、友達の家に「心霊写真集」のような本があった。
当時は、お盆の時期になるとワイドショーの中で「あなたの知らない世界」とい心霊モノが放送されていたし、いまのようにパソコンも家にはないので、写真を加工するということはいまより難しく「心霊写真」というのは本物だと思っていた。

わたしは、お化け嫌いなので、「心霊写真全集」なんて本は見られない。ところが友達の中には心霊モノが好きなやつが何人かいた。近所の友達のF君や、親戚の叔母さんの家の近区に住んでる同級生のO君だった。どういう共通点があるのだろう。ああいうのを喜んで見る人って。


わたしは、苦手だった。F君から「ほら見て!」と見せられた心霊写真は数日の間、わたしの頭から離れなかった。
トイレに行くたびに、静かな部屋に一人でいる時に、何かがいてるような気がした。怖い思いをした。

無視していればいいのに、友達の家にある「心霊写真全集」が本棚にあったら気になる。「あなたの知らない世界」も気になってしまう。少し見てみようかと思ってしまう。なぜなんだろう。怖いもの見たさというのはこういうことなのか。怖がりながら、本をあけて、チラッと見たその「恐ろしい写真」のせいでまた、頭から離れなくなる。

わたしの、ここ最近での「怖いもの見たさ」の対象は、ネット上のコメントになっている。Facebookの友達の中には、文句ばっかり言ってる人がいたり、仕事や社会の不満を書いていたりする人もいる。


歌舞伎が好きなあるFacebook友達は、観に行くたびに「観劇の感想」のをFacebookに投稿している。でも最後がダメ出しなのだ。
〇〇ちゃん(推し役者)の良さを生かしきれていない。
相手役が下手だとか、セットが気持ち悪いデザインだった。

お芝居の内容と感想もほどほどに、ダメ出しが続く。

変わった人だなぁ。と思っていながら、わたしの心が少しざわつく、「なぜ、この人はダメ出し脳なんだろう。もっと幸せな生き方もあるはずなのに。」と思ってる。

そういう人の長文のダメ出し文章を見ていると、見ている時間が長いので、Facebookのアルゴリズムは、わたしがその人の好みだと判断するようだ。彼女の投稿は必ずでてくる。

いつのまにか、わたしは「『ダメ出し脳』で人生を損しているように見える彼女を怖いもの見たさなような感じで見ている。

わたしの、大切にしたい言葉に
「自分の機嫌は自分で取ろう」
というのがある。

気になってしまって、彼女のネガティブに流されて仕方がない。
ネット上のネガティブにも流されては仕方ない。

「自分の機嫌は自分でとる」

わたしが、生きていたい世界は「綺麗な言葉で囲まれた世界」だ
これにつきる。周囲の友達であっても、ネット上の情報であっても。

人生、聞こえてくる言葉で、私たちの「機嫌」は影響される。

綺麗なことばに囲まれていたら、人生に「綺麗さ」を与えられると思う。

そういえば、F君とO君には共通点がある。
2人ともバイク乗りになっている。誰よりも速かった。

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