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【現代設計美学】一体と総体


はじめに

 このコラムは設計美学(フレッドアッシュフォード)をリスペクトして現代にリメイクする試みとして書くもので、一部に原著に類似する部分があったりするかもしれない。そもそも私の完全なオリジナルでないことを念頭に置いて読んでほしい。
 また、私が理論化、言語化する内容について他者、他製品を誹謗中傷するための材料にしないでほしい。これから書く内容は自らが設計する際に何かがおかしいがそれが自分の判断だけでは見当たらないときに振り返ってチェックするためのものとして使うのが望ましいと思う。はじめから私の書く概念を念頭に置かねばものを作れないといった腰の引けた状態になるのも望ましくない。あくまでも迷ったときに使うのが良い。
 この内容に足りない部分があったり自ら気づくことがあったりするときは自分のノートに書き足すか、教えてほしい。

なぜ視線誘導を考え、ラインを整えるのか

 デザイナーは視線誘導を気にしたり、キャラクターラインを整えることに躍起になったりする。だが一方で世の中にはどうやらそうして作られたとは思えないものも存在する。そして、それが適当ではなく意図的に行われてることもどうやら本当らしい。ではそもそも何のために視線誘導を気にするのだろうか?
 それは「その製品を前提となる知識をなるべく要求せずに一つのモノとして認識してもらうため」である。初めてその製品を見る人が混然とした世界の中からそれを背景から切り離してとらえるための重要なヒントとしてそれを設計するのである。次の章でそれを詳しく述べたい。

一体と総体と規律集合体

 ここで一つ新しい概念を導入する。『一体と総体と規律集合体』である。辞書的な意味とは異なるため、ツッコミもあるかもしれないが許してほしい。

一体の例 ライオン事務器 ステンレス定規

 一体とは単一素材単一部品に見えて、明らかにそれが一つの物体であることがはっきりしているモノの状態であり、例えばステンレス定規や鋼球、ガラスコップ等がそれにあたる。
 

フロントフェンダーからドアを通ってリアフェンダーにかけてハイライトが続き総体を成しているマツダ ロードスター

総体とは複数素材または複数部品の時に個別の部品への注意よりも明らかにそれら全体が一つの物体を成していることがはっきりしているモノの状態である。スポーツカーのドアが部品として別けられつつもボディが総体を成している状態はよく見られる。

グリッドで別けられた部品たちが織り成す規律集合体 TeenageEngineering OP-1

 規律集合体とは複数素材または複数部品の時に部品同士が何らかの秩序によって関係性のはっきりしたまとまりを感じる状態にあるモノの状態である。これは一つの物体であるかははっきりしない場合がある。キーボードなど、人間と接するインターフェイス部分に多い。
 上記三つに分類されるものが混沌の世界から切り離された、まとまりのある一つの製品として認知されうる状態のモノである。
 そしてその中でも規律集合体は人間側の文脈理解的な努力によってまとまりを感ずるように自分を鍛えたがゆえにそう見えているモノでありそのまとまりの感じ方は千差万別といってよい。つまり「一体か総体に見えること」を目指すのがひとまずの指針となる。

一体・総体に見せるには

 そもそも一つの部品でできている一体のモノはさておき、総体のような多部品から成るものを一つの物体としてどのように際立たせるのかが問題だ。そこで出てくるのが視線誘導である。ここで言う視線というのは人が見る目の軌跡のことを指す。視線誘導とモノの関係性からの考察をこれから述べる。
 モノを見たときに人は目から「素材、シルエット、ハイライト、ボリューム」の情報を得る。このうち視線として現れる要素がシルエットとハイライト、ボリュームの流れである。もしモノが一体として見えるような形の時、その三つがそれぞれ相反するような視線誘導を一度に行うことはなく、そしてその流れが眼球の運動でスムーズについていける状態にある(もしくは十分に小さい球や立方体の時のようにそもそも視線の流れを生み出さない)。
 もしもすべてのオブジェクトが一体のモノしかない世界であれば、誘導が途切れた時がそのモノの認識が終わったときである。逆に言えば誘導がつながっている間モノの認識は終わっていないのだ。
 つまり総体というのは目から得られる情報のうち、視線誘導に関する部分、目の運動に変換される部分については一体のモノと同じであることで物体の塊感を損なわない努力を行ったモノである。
 よって一体または総体をなしていることを表現する方法がキャラクターラインを整えることであり、視線誘導にきれいな流れを計画することであるわけだ。デザイナーはここを整えようと努力しているのである。ただ、先ほど述べた、シルエット、ハイライト、ボリュームも同じくらい視線誘導に影響を及ぼすため、ここの改善を無視してキャラクターラインだけにこだわるのは全体が見えていないといえるかもしれない。(仕事ではシルエットは変えられないからそれ以外でなんとかして! と言われることはしょっちゅうであるのでそういった状況のデザイナーを早とちりして馬鹿にしないように)

 そして、視線誘導と素材感の両方が途切れた時に人は明らかにそれが別部品または別オブジェクトのモノとしてそれを認識する。(ここは科学的な裏付けを行いたい。直感的にはたぶんそうだろう)

 こちらも私独自の概念である。これは部品、形状、大きさ、質感、素材感などの類似のある関係性のことを指す。族を成すことで部品間、物体間に関係性が生まれその空間全体と製品との間につながりが感じられるのである。
 

規律集合体にある族の例 TOTOサーモスタット混合水栓

そして規律集合体の秩序を生み出すルールの一つとしてこの概念を用いることもできる。例えばこの混合水栓は規格品のナット、ボルトを用いていることがうかがえるが素材感と円柱を用いた造形、径のまとまり、ハイライトの向きと流れ、シルエットの起伏のなさが族を成している。総体と言えるほど全体のまとまりはないが秩序を持った関係性のある集合体として認識できる。

総体と机が族を成している moog DFAM

 また、総体を成した製品と他のオブジェクトとが族を形成することで空間に一定の秩序をもって迎え入れることができる点も重要である。例えば押し出し成型の切断面が断面形状と同じシルエットの四角い木版で閉じられているものをシンセサイザー等でよく見かけるがこれは部屋の中の机、柱、床、または他のアコースティックな楽器と族を形成する。木の側面板に構造的な意味はなくてもわざわざ選ぶ理由の一つとして「なんとなく安心感がある」などの言葉が出てくるが、現代設計美学的に言うなら「族を形成する可能性が高いから」といえる。押し出し成型部品と木製側面板は総体として、木製側面板と机が族としてつながっている状況は空間全体に統一感がある状態と言えるだろう。

本体部分の黒と背景が族を成しているが側面がそれを乱しコントラストを生んでいる 同上

 もちろん、逆の効果を生む場面も存在する。この場合は側面の板の存在によってこの製品の存在が際立ってくる効果がある。

おわりに

 ここまで、立体デザインの造形の状態や関係性に名前を付けて述べた。これが私の初めての試みであるため、いろいろと問題もあると思う。ぜひたたき台にして議論してほしい。
 設計美学と類似する点があるだろうと述べたが、同じような状況について述べた個所については原著(設計美学)の高梨訳版、P29の美学の商業的価値の章からP41の章の終わりまでの部分である。ぜひ読んでほしい。1962年の本であるのにいまだに参考になる汎用性の高さに驚くことだろう。

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