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何がいけなかったのか?結婚生活を振り返る(元夫編)①

知らぬ間にインドに来ていた元夫のお陰で(せいで?)、強制的に対面で会話する必要性が生じている。

もう離婚したから、離婚、過去の失敗/間違い、やり直す可能性については、もう話したくない。(必要だったら、離婚の決着がつく前にするべきだったことだから。)

が、元夫はそうはさせない。

何度もnoteに書いているが、元夫は「離婚なんて紙切れ一枚の事だから認めん!(だから事実上結婚しているままって事か?)」と思っている。そのためなのか、未だに「お前のせいで、私たち3人が苦しんでいるんだ。どうにかしろ。」と言ってくる。

先日、歯医者から戻る車の中で「家に戻って(泊っているところは別)、休んだら、夜に猫に会いに行くから」と当然の様に言われて、つい反射的に「え、ダメ」と断ってしまった。

離婚した相手とそんなにちょくちょく会いたくない。

しかし、これが引き金になり、大ゲンカとなった。

その時に、何度も「なぜ?(離婚になったのか)」を聞かれたので、冷静になった今、改めて自分でも考えてみたいと思う。

これは、過去を振り返って将来に活かすためのnoteなので、元夫を責めたい気持ちで書いているわけではない。自分の心に整理をつけたいだけである。

それに、結婚がうまくいかない原因は、双方に責任があると思っている。(DVなどの場合を除く)

ちなみに、元夫側の離婚の理由だけをあげていくのは不公平だと思うので、この後、自分の悪かった事もあげて反省し、今後の人生に活かしていきたい。



金銭感覚の違い

元夫は「無くても稼げばいい」「無い時は借りればいい」「会社員で定収入に甘んじているなんて向上心が無いヤツのすること」と言う考えの人だった。

向上心があるとも言えるし、計画性があるならば借りるのももちろん一つの策であると思う。精神論としては反対しない。

一方、私は父親が公立の教員&母が家にいてお金の管理をしっかりしてくれた環境で育ったこともあり、「会社に就職して収入を得るもの」と考えていた。とにかく節約して貯金してコツコツ貯めた中から、計画的に旅行などに使いたかったのだ。

まず、元々の感覚が違い過ぎたし、これを結婚前にすり合わせしていなかったのが(結婚の)大きな敗因となった。


結婚直後、(日本に戻り)レストランで働いていた元夫は、3カ月目には「辞めちゃった」と事後報告してきた。その後、数社渡り歩いたが、どこで働いてもなじめないのか長くは続かず、また、ブラック企業ばかりで月10万円を超える収入(そしてそこから保険料や交通費などを払う)になる事はなかった。

しばらくして、「事業を始める」と言いだし、どの会社でもうまくいってなかったので事業登録には協力したのだが・・・、結局、手続きや経理等は日本語できないと処理ができないので、早朝や夜中、土日を使い、フルタイムの仕事に加えて私が対応した。

結婚生活の中でいい時ももちろんあったが、フルタイムの仕事、子供たちの送り迎え、家事に加えて事業の手伝い・・・それなのに収入は減り、経費が増えてばかり。

ある時、何か失敗をしてしまって「なんでこんな簡単な事も出来ないんだ!」と元夫に怒鳴られた私はプッツンと何かが切れてしまい、子供達を連れて実家に戻った。

その後、色々あって元夫とやり直すことを決めてインドに移住したが、お金の考え方についての差が埋まる事はなく、インドに来ても同じ様な事業の失敗が繰り返されたので、離婚を決意する一因となった。



「No」と言われると人格も否定されたと思い込む

元夫は、「No」と言うと、人格も否定されたと思い込むタイプの様で、お願いされたことを断り切れずに困ったことが何度もあった。

粘り強いのはいいことだが、こちらが「Yes」と言うまで、かなり卑劣な手を使って食い下がる。

最も記憶に残っているのは、「オフィスを借りたいから、その敷金の為にローンを借りて欲しい」と言うお願いだった。

当時の私はフルタイムで働いていたがスズメの涙の様な給与だった。それに元夫も含め扶養家族は3人で、都内に住んでいた。(家賃で給与の半分近く)

完全に詰んでいる状態だったと思う。

結婚や出産で貯金は使い果たし、ほぼゼロ。そんな状態の私に「ローンを組んで」とお願いする元夫の度胸もすごい(笑) 

「返済できなくなるから、悪いけどできない」と断ると、その日から毎日「お願い」される様になった。

毎日家に帰るとローンの事でケンカばかり。お金は増えないのに仕事は増えて、その上、家庭はうまくいっていない。それでも借金だけは何としても避けたかったので断り続けた。

その日は同僚の結婚式に出かける直前だった。

私の会社の同僚の結婚式なので、私と子供たちだけが招待されていた。(それに家族全員だったらご祝儀が払えなかったので、招待しない様にお願いした。)インドの結婚式では家族の一人だけが招待されないなんてあり得ないので、それも元夫が機嫌を悪くした原因だったのだと思う。

支度を急いでいる私の横で、元夫はすっと息子の肩を抱き、突然言い放った。

「息子は行かせない。ローン組んでくれないって事は、俺の能力を信用してないってことなんだろ。ローン組んでくれないなら、ここで首切って死んでやる。息子も一緒に。」

ぞっ・・・と、肝が冷えた。

本気で死ぬつもりの人間は宣言などしたりしないものだが、それでも、万が一何かあっては取り返しがつかない。それに息子も道連れにするつもりでいる。

(本気・・・?はったり・・・?いやでも、興奮すると何するか分からないし・・・)とぐるぐる迷ったが、最終的にはこの脅迫に負けて承諾した。

命をたてに脅されて、承諾するしかなかった。

すると元夫は途端に機嫌がよくなり、私の事を抱きしめて「来月からちゃんと返すから♪」と約束したが、結局、最初の月から1円も返してはくれなかった。

元夫は、私に対して「ごめんね(てへぺろ)。今月ちょっと苦しくて」と言えばいいだけだが、私は超恐ろしい金融機関になんとしても返さなければならない状態に陥った。このローンはその後も負債として残り続け、やっと昨年、15年近くかかって完済した。

そして、このことも原因となり、段々と元夫に対して、冷静に論理的に「No」と言う事が出来なくなっていってしまったのだった。



怒ると我を忘れて暴言を吐く

今はだいぶ丸くなったと言えるが、元夫は大変短気な性格だ。
そして、「家族だから何でも言っていい」を間違って解釈している人だった。

元夫が怒っている時の暴言はそれはひどいものだった。

私がとある試験に合格できなかったとか、
私は頭が悪いからこんな難しい英単語理解できないだろうとか、
(ケンカ中にあえて難しい単語を使い、分からない事をバカにする)
私はかに座だからやっぱりダメだとか、
私の父は地方で公務員するぐらいしか能力が無いとか、
ドイツ語の勉強は同僚に色目を使っているからだとか(以前勉強していた)
私の妹の家は片付いていなくて汚いとか
息子の友人は成績悪いから人間じゃなくてサルだとか

元夫の語彙録より

・・・と、私だけではなく、私の家族の事も悪く言うのが耐えられなかった。そして暴言の内容も日本人だとか7月生まれだとか、努力で変えられないような事も言ってくるので、とても辛かった。

それをどうしろと。

散々暴言を吐いた本人は、怒りが収まるとケロリとしたもので、「怒っている時の発言だから本気で言っている訳じゃない」と言うのだが、
言われた方は溜まったものではない。思い出したくなくて忘れたことも多いが、傷ついた記憶は残っている。



自分一人でご飯を食べられない

元夫は、自分一人では食べられない(食べない)人だった。

宗教的な考え方からくるのか、「食事は家族の女性(母/姉/妹/妻/娘)に食事を提供してもらうもの(=祝福を受ける)」と考えており、「出かけるから冷蔵庫にあるものを食べて」と言って出かけても、自分で取って食べる事は絶対にしない。

一時期、私が会社でフルタイム、元夫は自分の事業を家でこなしていた時期があった。

家にいる元夫がごはんを用意すれば良さそうなものだが、がんばって早起きしてごはんを用意して冷蔵庫に入れておいても、帰宅と同時に「今日も何も食べていない!」とドヤ顔で言われた時に浮かぶ殺意を抑えるのに必死だった記憶がある。

(注:ちなみに、鍋/タッパーに入れておいても、お皿に盛りつけてラップかけても結果は同じだった。。)

できれば5分でもいいから長く寝ていたいのに、早起きして作った食事に手が付けられていなかった時の落胆と言ったらなかった。

じゃあ、作らなくてもいいのかと言えば、そうでもなく、「今日はもうムリ」と思って辞めると、なぜか「なんか食べるもの無い?」と会社にいる私に電話がかかってきたりするのだった。

・・・自分でやれよ。


色々思い出して書いていたら、結構長くなってしまったので、②に続きます。


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