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何がいけなかったのか?結婚生活を振り返る(元夫編)②

元夫の奇襲攻撃みたいなインド帰国にあたり、『なぜ結婚が続かなかったのか?』を振り返ってみている。書き始めたら思ったよりも長くなってしまったので、今回はその②。

その①はこちら。

その①でも書いたが、元夫側の理由のみを指摘するのは不公平なので、自分側の理由(改善点)も考えてみたいと思っている。



お腹が空くと人格が変わる

元夫はお腹が空くと人格が変わるタイプの人間だ。

その上、その①に書いた通り、自分一人では食べようとしない。例外的に一人で食べる事もあったが、基本的には「家族の女性が提供してくれたら食べる」と言うスタンスであった。

最もはっきり記憶にあるのは、息子がまだお腹にいた頃、元夫と義理の妹(=元夫の妹)とインドにいた頃の話だ。

確かその時は、私と元夫で妊婦検診に行き、夕方ぐらいに家に戻ってきた。元夫は、お留守番していた妹に「何か作ってある?」と聞いた。(仕事も無いし、家にいるんだから作っていて当然)と思っていた様だ。

ところが何かの食材が無かったらしく、何も作ってなかった。(安全面から、私も妹も一人での外出は禁じられていたと思う。)すると、家に帰れば何か食べれると思っていた元夫は、烈火のごとく怒りだした。

そしていつもの通り、妹が泣き出すまで暴言を吐き続けた。

それだけでも酷いのに、怒りが収まらない元夫は、妹の泣き声がうるさいと、なんと水が入った1Lのペットボトルを妹に向かって投げつけたのだ。(つまり1kgの鈍器を投げつけた)

幸い、あたらなかったのでケガはなかったが、実の兄が妹に対してすることではない。あたってしまったら大けがになるし、ペットボトルを投げる理由は「お腹が空いていたのに、妹が何も作ってなかったから」だ。

その時に、初めて怒りをぶちまける元夫を見て、恐ろしくなってしまったが、元夫は私を見ると突然笑顔になり「怖かった?大丈夫だよ。」と私をなだめたが、正直怖くて何も言えなかった。

私の心は『これはヤバい!』と言っていたのに、あの日に結婚を辞めなかった事を心底後悔している。



発言に統一性が無い

例えば、今回歯医者に出かけた時のこと。

朝10時に出発する予定で、それは事前に伝えてあった。

車は地下2階に置いてあるのだが、先に出しておこうと思い、家を出る前に「今から家を出るから出口付近で待ってて」とメッセージをしておいた。

車を出して待ち合わせ場所に着いたが、元夫はまだ来ていないようだった。

すると電話がかかってきた。元夫が怒りを含んだ声で「どこにいるんだ!せっかく家の前まで来たのに!!」と言う。元夫が家まで来ることは予想していなかったし、正直、別に来て欲しくなかった。

既に外に出ている事を伝えて、無事に合流できた。

車に乗り込んだ元夫は、イライラした様子で「スマホは見てないから連絡がある時は電話しろ。お前たちと違って、俺はいっつもスマホ触ったりしてない。」と言う。

そうですか・・。スイマセン。

その日は、私の歯の治療に時間がかかり、元夫は外にお昼を買いに出て、私の治療が終わった時はまだ戻って来ていなかった。元夫に治療が終わったことを連絡しようと思い、今朝注意された通り電話したが、出ない。急ぎでもないので、ほっておくと、しばらくして元夫が戻ってきた。

歯医者に戻ってきた元夫は開口一番に「もしかして電話した?」と聞くので、電話したと伝えると「そうなんだ。着信音が小さすぎて気づかなかった。」と言う。

言われた通り(メッセージではなく)電話にしたのに、連絡したい事がつながらないのでは意味が無い。

これは小さな出来事だけど、これが日々の生活にちりばめられていると、地味に大変だし、ケンカも多くなる。(あれ、私だけかな笑)



家族だから何をしてもいいと思っている①

元夫は「家族が一番大事」と言っているが、同時に「家族だから何をしてもよい」と思っているふしがあって、「家族を大事にする」の解釈が私とは一致していない。

5年程前、アメリカに住んでいる義理の母がインドに一時帰国した。年金の手続きや、かかりつけの医者に行く予定であった。

航空券は変更不可なのに、元夫は義理の母に自分の好きなごはんを作らせて、毎日、夕方まで寝ていた。(当時はレストランを経営していた)

さらに「高齢で足も悪いから」と安全面から外出を禁止されていた義理の母は、一人では何もさせてもらえない状態だった。一つでもいいから用事を済ませたいと毎日元夫に懇願していた。しかし、その度に「大丈夫、大丈夫。明日行くから。それより今日はあれ作ってよ。俺が好きなヤツ」と言って動く素振りを全く見せない。

義理の母と元夫はそのことで毎日言い争いをしていたが、いつも義理の母が散々怒鳴られてソファに崩れ落ちて泣いていた。

インドでは家族、特に両親を大事にする。そのインド人の元夫でも自分の母親にすらこの態度なのだから、妻なんてそれ以下で、雑に扱っていいと思っているだろうな、と感じた出来事だった。



家族だから何をしてもいいと思っている②

もう一つのエピソードとしては、息子に仕事の手伝いをさせるために学校に行かせず、しかも、仕上がりが気に入らず殴った事がある。

元夫は自分の事業を運営しているのだが、「家族は事業を手伝って当然」と思っている。それ自体はいいのだが、「Yes/No」(または一部ならOK)は言ってもいいと思うのだ。

まだ息子が中学生ぐらいの頃、元夫はレストランのチラシのデザインを独学で学んでいた息子にお願いしていた。多分「家族にちょうどよく無料の人材がいた」と思っていたのだろう。

ある日、オフィスで仕事していると、息子からメッセージがきた。

「もうやだ。チラシのデザインが気に入らないってパパに殴られたし、今日は学校に行かせてもらえなかった」

・・・・え??どういう事なの?

仕事を早めに切り替えて、家に戻ってみると、子供達と元夫は家にいた。

息子に聞くと、チラシのデザインの期限が迫っていたのに仕上がっていなかったので、学校を休ませられたのだと言う。(私が先に家を出るので止められなかった)そして、デザインの内容で口論になり、殴られたのだそうだ。

元夫は、「期限が迫っているのに、息子が約束した期日まで納得いくデザインを終わらせないからいけなかったんだ。」と言う。殴った事については「ちょっとだけ」だと強調した。

仕事として受けたのなら、確かに期限を守る必要はあるが、息子は学生なので学業が最優先だ。学校を休ませてまで家業を手伝うべきではないと思うし、ましてや、期限の超過やデザインの内容を殴って理解させるべき事でもない。

「家族だから何をしてもいい」と思っているのが分かり、離婚を決意する理由の一つになった。



(おまけ)容姿を褒めない

別に毎日「今日も素敵だね」と、キザなセリフを言って欲しいわけではないし、自分の容姿がどんなものなのかも分かっている。

元夫は、「着飾っているヤツは頭が悪くて、セックスばっかりしている」と古い固定観念を持っている人だった。古すぎるし、人を見た目で判断しすぎていて、悲しい。

だから、元夫の好みは中学生みたいに地味なもの。自分が気に入らないスタイルの服を着ていたりすると、「何それ?全然似合わない。」と『私が好きな服』を、そして見た目を褒めてくれることはほとんどなかった。

離婚に直接は関係ないけれど、地味に元夫への気持ちが下がっていった原因の一つではある。



結婚して20年近く。もちろんいい事、楽しい事もあったが、残りの人生を元夫と一緒に歩んでいく自分のイメージがどうしても持てず、離婚に踏み切った。

さらに細かい事を探そうと思えばまだまだあるが、離婚を決意させるぐらいの理由はこれくらいだろう。

自分はつい「我慢してしまう」人間なので、これらのうち一つでも欠けていたら、多分、離婚はしなかったと思う。だから逆に言うと、これだけの理由を揃えることができた元夫がすごいのだとも言える(笑)

夫婦は合わせ鏡なので、私にも改善するべき点があったはずだ。

次回はそれについて書いてみたいと思う。




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