優生思想について考えていること。

2016年7月26日に発生した相模原市の津久井やまゆり園における障害者大量殺傷事件はもうすぐ5年という区切りを迎えようとしている。区切り、といってもそれはあくまで暦の上での区切りであり、おそらく遺族をはじめとする関係者や、障害者福祉に携わる人たちにとっては終わりのないたたかいの途中だろう。

私は事件当時大学院生で、この事件を他人事と思えず戦慄していた。それはなぜかといえば、私自身に精神障害があるからだ。精神障害といっても激しい症状はなく、ASDと生まれつきのセロトニン不足による不安障害で毎日起き上がるのがやっと、生活するのがやっとというタイプの症状だが、就労は困難だと思っていたし、院を出た後、やっぱり就労は諦めてしまった。
やまゆり園の入所者の方々は重度の知的障害に分類される人たちで、私とは障害の種別が異なり、見ている世界も大きく異なると思う。それでも、「生産性がない」と言われてしまう点では共通していた。私はただ、息を吸って吐いて、トイレに行って、日用品を買って生活している。障害年金をもらっていて、就労はしていない。税金の無駄遣いかなと思って、せめて人の役に立つ人でありたいと思っているが、体(脳?)が思うようにいうことを聞かない日は臥床してしまっていることも多い。
当時は体調のいいときを使って日々迫ってくる修士論文の締め切りと睨めっこしながら、論文を書くための資料を読んでまとめていた。ほとんどだるくて寝ていて、こんなので修了に漕ぎ着けられるのか……そんなうだつの上がらない日々を送る中、あの事件は起きた。

私も「生きていても仕方がないいのち」として、切り捨てられる日が来るかもしれない。私が直観したのはそういうことだった。おそらく、この事件に接した障害者の方々のうちの多くがこの考えに至り、ゾッとしたのだと思う。
しかし一方で、自分の中にある(私は障害があり、まともに働けず生産性がない人間。社会のお荷物だ)という自己否定感情にも気付かされた。あの事件がきっかけで、自分自身が自らを、社会にとって無用の長物だと思っているいうことを考えるきっかけになった。それまでは、まぁ学生だからということで目を背けてきていた現実だった。
障害者が自分自身への差別を内在化してしまうという事態は、珍しいことではないらしい。社会の至る所に(主に剥き出しになるのは、ネット社会だろうか)障害者は不要だという暴言が見受けられるし、相模原事件の犯人の考えに賛同する人は当時結構いたのだった。それらを目の当たりにすると、どうも自虐的になってしまう。
そして自分にも覚えがある。私は、人生の途中まで……少なくとも二次障害を発症するまでは自分を健常者だと思い込んで生きていた。中学生までは、クラスに在籍している(普段は特別支援学級におり、特定の活動の時だけ普通級へとやってくる)Tちゃんと呼ばれていた知的障害を持つ男の子のことを、完全に他人事として見ていた。彼とは保育園から一緒で、身近な存在だった。ずっと、自分とはまったく無関係の、異質な存在として認識していたのだ。彼のことを社会に必要のない存在だと思ったことはない。地元に帰ったときに駅で大人になった彼が一人で電車を待つ姿を見たとき、あぁ、元気にしていてよかったと思った。いつも先生に付き添われていた彼が介助者なしで一人で外出している。彼の成長を感じて、嬉しくなった。
しかし、彼のことを他人事として見ていた私のままだったら、あのように彼の成長を感慨深く思わなかったのだろう。あ、いるなぁくらいにしか思わなかったかもしれない。健常者の、障害者に対する冷たいignorance(無知という意味)を私は身をもって知っている。
そして私はいま障害者である。

「青い芝の会」という脳性麻痺者の団体があることを先日知った。障害者の権利を勝ち取るための闘争を70年代前後に盛んに行った人たちだ。彼らのことは荒井裕樹著『障害者差別を問い直す』(ちくま新書、2020年発刊)に詳しい。
彼らの行動は、たとえば神奈川県川崎市の路線バス複数をバスジャックして止めてしまうなど、かなり過激なものだった。賛否はある。そこまで激しくかれらを駆り立てたのは、生存の欲求の炎だったのだと思う。
さまざまなところで、「障害者は生きていても仕方がない」という、過激に言えば「殺意」に出くわす。私ですらそれは感じる。目に見えてはっきりわかる障害を持つ彼らにとってそれは露骨だったのだろう。そして、彼らは闘争を起こした。
私は、彼らの気持ちがすごくよく分かった。よく分からない、やりすぎではないかと考える人たちは、「こちら側の人間ではない」のだろうなと思う。こちら側だとかあちら側だとか、言いたくない。障害者と健常者に線を引かなくても済む社会にしたい。

先日沸き起こった小山田圭吾氏の障害者いじめの過去に関しての騒動。これもまた、障害者の人権を考えるきっかけとなった。やったことは犯罪と言っても過言ではないが、いささか執拗に小山田氏を叩きすぎではないかとも私は思ったのだが、これだけ叩くということは、日本人が障害者の人権を真摯に考え始めたということだと前向きに受け止めたい。
他方で、国民の意思を無視したオリンピック強行に対する鬱憤が、小山田氏叩きをヒートアップさせたのは確実であろう。だからあの憤懣は、ただしく障害者の人権のために沸き起こったものとは言い難いのかもしれない。
それでも、今日より明日、明日より明後日に、日本人一人一人の人権がよりよく守られるようにと願ってやまない。

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