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雑穢 #1024

雑穢とは、実際に体験した人の存在する、不思議で、背筋をぞっとさせるような、とても短い怪談の呼称です。今夜も一話。お楽しみいただけましたなら幸いです——。


 戸惑いの二歩三歩が十歩になり、次第に肩から全身から緊張が抜けていく。
 しかし、靴裏を通して伝わってくる、不規則な岩の硬さと、堆積して土に変わった落ち葉の成れの果てが頼りなくふわふわとしている感触にはまだ慣れない。
 少し踏み外すと、すぐに足を挫きそうだ。五十歩に一度くらいヒヤッとする。
 命を断つために来たのはいいが、痛いのは嫌だ。
 わがままな話だとは思う。しかし、これから死ぬのだから、そのくらいのわがままくらい言っても良いんじゃないか。
 ——見苦しい。死ぬ時までそんなこと考えてるの? 小物なんだから。もっと手っ取り早く死ねる方法なんて、幾らもあるのに。あちこち這い回って虫みたい。
 頭の中ではそんな台詞がぐるぐると回っている。自分の声ではない。いや、冷静に考えれば自分の心の声なのだろう。だがそれは受け入れられない。
 いつの頃からか、性別も年齢も違う他人が頭の中で文句ばかり言ってくるのだ。
 もっと早くしなさいよ、グズなんだから。
「少し黙っててくれないかな!」
 樹海の中で、普段出さないような声を出してしまった。恥ずかしい。誰かに聞かれていないかと振り返ると、もう国道は見えなくなっていた。
 ——おや。これは自分にしては、いい塩梅なんじゃないか。
 そんな気持ちになったのはいつ頃以来だろうか。
 ——誰に褒められたいの? ママに褒めて欲しいの? マザコン男? 気持ち悪い。
 まだ頭の中で女がキイキイと何か言っているが、無視して先に進むことにする。
 暗い中を、頼りない懐中電灯の光頼みでよろよろと進んでいくと、急に段差を踏み外して足首が変な方向を向いた。挫いたと思った瞬間痛みがやってきて、もう動けない。
 痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ。もうやだよ。やなんだよ。どうしてだよ。もう嫌だよ。
 叫び声の後は、ただただ痛いと嫌だを繰り返し口にする。もう癇癪を起こしている幼児と同じだ。あの女の言う通り、俺はグズで、何もできないダメな野郎で——。
 ああ、痛い。もう動けない。このまま死ぬんだ。痛い痛い。もう嫌だ。もう嫌なんだ。
「そうか。それならやり直すか」
 落ち着いた声が背後から掛けられた。飛び上がるほど驚いたが、足の痛みもあって返事もできない。何より怖い。一体誰だ。
「いいよいいよ。その女も連れていくから。俺は性格の悪い女が大好きだからな」
 頭の中で、いつもキイキイ言っている女が悲鳴を上げた。その夜の記憶はそこまでだ。
 気づくとアパートの部屋で寝ていた。靴は履いたまま。足首は倍ほどに腫れていた。

次の話


雑穢

note版雑穢の前身となるシリーズはこちらに収録されています。一話130文字程度の、極めて短い怪談が1000話収録されています。

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