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雑穢 #1021

雑穢とは、実際に体験した人の存在する、不思議で、背筋をぞっとさせるような、とても短い怪談の呼称です。今夜も一話。お楽しみいただけましたなら幸いです——。


 高知県の四万十での話だという。
 秋。もう外は暗くなっていたが、母親は町内会の会合に出かけており、いつ帰ってくるのか見当がつかない。「帰りはだいたいこれくらいの時間だと思うけど」と、言い残して出ていったその時刻は、三十分も前に過ぎている。
 ——お腹空いたな。
 普段の夕飯の時間も過ぎている。冷蔵庫の中を漁ってもいいのだが、やはり母に訊かなくては不安だ。あと一時間もすれば父親も帰ってくる。晩酌の時に出すおつまみの予定もあるだろう。
 その時、玄関のチャイムが鳴った。
 母親かもしれない。急いで玄関に向かう。
「恵美子ー?」
 そう自分を呼ぶ母親の声に、遅かったじゃない、と声を掛けようとしたが、慌ててそれを飲み込んだ。
 玄関の引き戸二枚と同じほどの大きさをした女の顔が、玄関灯に照らされて外から覗いている。それは真っ白な顔をしており、切長の目をして、真っ赤な口紅をしていた。
「恵美子ー?」
「恵美子ー? 玄関開けてー?」
 繰り返し繰り返し自分の名前を呼んでいる。その度にグロテスクに赤い唇が動いた。
「恵美子ー?」
「恵美子ー? 開けてー?」
 怖い。足音を立てないようにして玄関から後ずさって、居間に逃げようとした。
 その時、逆光になっている女の顔が、歪んだ気がした。
 笑ったんだ、と思った。
「恵美子ー? 逃げたらお母さんが死んじゃうよー?」
「恵美子ー? お父さんも死んじゃうよー?」
「恵美子ー? 玄関開けてー?」
 何だか次第に目が回ってきた。気持ちも悪くなってきて、その場で吐きそうになった。
「恵美子ー? 恵美子ー? 恵美子ー?」
 意識が急激に遠くなっていく。やけに下品な笑い声が響く中で、自分の頬が床に激突したのがその時の最後の記憶だ。
 気づくと、お坊さんの読経の声が響いていた。
 あの夜から三日三晩経った深夜だった。

次の話


雑穢

note版雑穢の前身となるシリーズはこちらに収録されています。一話130文字程度の、極めて短い怪談が1000話収録されています。

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