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SNSでの議論が"誰も幸せにしない"と思う3つの理由

最近ネットが殺伐としていませんか?

明らかに私がフォローしているのがそういう方が多いので、自分の周りだけかもしれませんが・・・

とりえず私の周りに限定しても、新型コロナによる不安や不満、外出自粛でネットに向き合う時間が多い等の影響と思いますが、最近「正しさとは何か?」の論争をよく見かけます

例)
1)児童型セックスドールを規制すべきかどうか
2)ネットの誹謗中傷の規制をどこまでするのか
3)事業者や学生への給付金の範囲はどこまでにするべきか
4)芸能人の政治的字発言、風俗利用に関する発言はどうあるべきか

etc

ここ数カ月でこういった発言が一気に噴出して、SNSで議論してる様子を毎日のように見ています

これらのテーマは非常に難しく、「SNSで議論するべきではない」というのが率直な私の考え方です。
といいつつ、"我慢できず"RTしたりレスしたりしているわけですが・・・
実はこの"我慢できず"も意図されている点は、後述します。

「SNSで議論するべきではない」と考える理由は次の3つです。
①正義は常に複数存在し、すり合わせるもの
②SNSはそもそも議論をするために作られていない
③①②を踏まえずに議論をすると視野が狭くなり分断が広がるため

それぞれについて詳しく書いてみます。

①正義は常に複数存在しすり合わせるもの

「何が正義なのか」は中国の儒教、ギリシア哲学等、有史以来ずっと人類が考えてきたことです。

そして、正義には少なくても3つの考え方があります

(1)功利主義:最大多数の最大幸福(より多くの人が幸せになることを基準とする)
(2)リバタリアン:個人の権利の最大化(1人1人の権利を基準にする)
(3)コミュニタリアン:地域や宗教の価値重視(歴史や文化、道徳を基準にする)

最初に上げた議論も、この3つの「正義の観点」があり、決して1つが正義という事はありません。

例えば「1)児童型セックスドールを規制すべきかどうか」であればこんな観点かと思います。
・功利主義
 セックスドールの存在により不利益を得る人が、利益を得る人より多いなら規制するべき
 (ゾーニング等で不利益(不快)な人が減るならそれでよい。)
・リバタリアン
 社会に迷惑をかけない限りは、思想の自由で規制すべきでない。
・コミュニタリアン
 児童を性的な対象とみることは道徳的に許容できず、規制するべき。(不快もこれに相当)

こういった話題は、お互いの議論を可視化し、ファシリテータを交えてじっくり話し合わないと、納得のいく妥協点や相互理解にはつながりません

つまり、SNSで議論してもお互いが主張や感情をぶつけ合うだけで、得られるものは無いと考えます。


②SNSはそもそも議論をするために作られていない

そもそも、SNSは、スマートフォンの1アプリとして、ユーザーが気軽に話をするために作られています。仲の良い人と、ちょっとした会話、あるいは日常の独り言を投稿する事を目的に作られたものです。

そして、できるだけユーザーの興味を引き、長くアプリを使ってもらうように情報表示や通知が作られています
⇒ これが反応を我慢できないようにする仕掛けです。

つまり、意見が異なる人と複雑な議論をするように、最初から設計されていません

しかしユーザーが増え、自然災害等でインフラ的な使われ方が増えると、当初と想定しない使われ方が増えて、深刻なテーマや政治の議論も増えてきました。

そのため、あとからいろいろな機能が追加されていますが、もともとの設計思想のため十分に議論を深めることができないと思います。(いわゆる仕様の問題)
これはシステムを設計したことがある人間であればよく理解できることと思います。
仕様と異なる使い方は、想定している効果を出せず、トラブルを引き起こします。

③①②を踏まえずに議論をすると視野が狭くなり分断が広がる

そもそも「正しさ」には複数の判断基準があり、それは深い考察と議論によってすり合わせていくものです。(①)
しかし、SNSはオープンで深い議論するようにできていません。(②)

結果起こる事は、お互いが意見が同じもの同士で固まり、立場の違うグループ同士が短い文章で罵倒し、誤解を広げている状況と思います。
こうなると、相手への不信がどんどん深まり、自分の意見を仲間と強化することはできても、視野は広まらず、さらなる分断を招くことになります。

さらにたちが悪いことに、SNSは短い文章で、短期間にやり取りするため、誤解を生みやすく、なおかつ日本語読解力が落ちます
じっくり長文を読んで論理構成を理解し、時間をかけてコミュニケーションをとるような形にはなりません。
結果、深い議論でお互いが成長することも、相互理解することも極めて難しいと考えます。

こういった現象はすでに世界中に起きていて、ポピュリズム旋風の一端を担っています。

さらに、こういった状況利用して諜報戦をしかけることも実際に行われています。

「フェイクニュースは兵器として実際に使われている!「ハイブリッド戦」を知ろう」
https://ameblo.jp/3ryuse/entry-12449038782.html

結論として、SNSで議論はなるべくしない(軽い意見表明や、複数の視点があること簡潔に触れるにとどめる)、そしてサロン(オンラインサロンではない)のような深い議論をするための個別の場を設ける必要があると考えています。

後半については実際にいくつか取り組みもあり、そういった場がこれからの社会に必要なものと思っています。

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