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年上好きコンプレックス、のその先に、年の差婚した話

年上好きなことがコンプレックスだった


私は、思春期の頃から、決まってだいぶ年上の人ばかり好きになってきました。
いわゆる「推し」も、おじさんと言われる年代ばかり。

おじさんばっかり好きになっている自分はおかしいんじゃないか、気持ち悪いんじゃないか・・・と思ってしまい、このことは、自分にとってコンプレックスでした。

推し活は基本的に楽しいのですが、このコンプレックスゆえに周囲にはオープンにできず、必死に周りに話を合わせて・・・。
私の推し活はいつだって孤独でした。
家族にも知られたくないので、真夜中に家族が寝静まったリビングで、テレビにイヤホンをつけて推しの芸能人を見る日々・・・。

うーん。好きなものを好きと言えないのは、意外にツラい。
楽しいけれどどこかほろ苦い、それが中学生頃の私の「沼ライフ」「推し活」の思い出です。

光を照らしてくれた、「高校時代の友人」と「インターネット」


そんな中、私のコンプレックスを和らげる出来事が2つありました。

「好きなモノは好き!」と言えるマキちゃんの存在

1つは、高校時代の友人、マキちゃん(仮名)との出会いです。
マキちゃんは、「好きなモノは好き!」と言える人でした。どんなときも。(それはマッキー。)

マキちゃんも推しの中になかなかのおじさんがいましたが、彼女は堂々と周囲にそれを話しており、私はその姿を見て、「ああ、あんな風にストレートに言うのもありなんだ」と思えました。
そんなこんなで、少しずつ自分の好みを自分で認められるようになりました。マキちゃんありがとう。

インターネットとSNS

もう1つは、インターネットやSNSの隆盛です。

30人の教室の中には、自分と同じ沼にはまっている人はいないかもしれない。でも、SNSなどを通じて日本中・世界中に目を向けたら、意外にも自分と同じような「好み」の人がいました。同じ沼の住民。私は1人じゃなかったんや。

そして、それ以外にも、様々な「好み」「沼」「推し」を持つ人たちがいて。自分の好みは、星のようにたくさんある「好み」の中のたった1つに過ぎないんだ、ということにも気付きました。
そう思ったら、なんだか今までの自分は自意識過剰だったのかな、気にしすぎだったのかなと思えるようになって、少し気がラクになりました。

自分の気持ちを認めて年の差婚したら変わったこと

そうこうしているうちに、20歳を過ぎたころ、私は(実生活で)人生最大に好きな人ができました。やはり、その人はだいぶ年上(2周り近く上)でした。

中学生までの私だったら、自分の気持ちを「気持ち悪い」と否定して、なかったことにしていたと思います。
だけど、高校時代にマキちゃんの姿を見て、インターネット上でもたくさんの人の好みを知った私は、せめて自分の気持ちを自分で肯定するくらい、いいんじゃないかと思えるようになっていました。

結果的には、周囲の人に恵まれ、また運も良く、その人とお付き合いしたのち、結婚をしました。
いわゆる年の差婚については、さまざまな考え方があることは承知していて、必ずしも私がしたようにするのが良い、と言いたいわけではありません。ただ、世界に山ほどある「選択肢」の一つとして、こういう選択肢も仲間入りさせてもらいたいなあ、というのが、私の個人的なねがいです。

そして、結婚を経て、変化がありました。
それは、自分の好みだけでなく、ほかの人の好みを尊重できるようになったことでした。それが、一見、変わっていると思われてしまうようなものでも。
これまでは、自分の好みを認められないことで、知らず知らずのうちにほかの人たちの好みをも否定していたのかもしれません。

色々なものを好きな人が色々といて、ごった煮のような世界であることが、素敵だなあと思っています。

あのとき堂々と「好き」と言える姿を見せてくれた友人、顔も名前も知らない世界中の「同担」の人たち、私を楽しい楽しい沼ライフにいざなってくれたたくさんのかっこいい人たち、結婚を祝福してくれた友人や家族、何より私にとって「最推し」の人である夫に、心から感謝しています。





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