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ドラマ『作りたい女と食べたい女』シーズン2:食べてもらって、癒される

ドラマ『作りたい女と食べたい女』シーズン2を見て、毎回とても癒されている。

このドラマの脚本・山田由梨さんの作品は、私はこれまで、ABEMAオリジナルドラマ『17.3 about a sex』、『30までにとうるさくて』を観ている。また、山田由梨さんが作・演出の贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』の上演映像を観たことがある(贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』は現在、YouTubeで無料で観ることができる! ↓)。


上記の作品を観る限り、いわゆる、価値観をアップデートするような、当たり前とされていることに問題意識を投げかけるような題材の作品が多いようだ。

「でも、日頃感じた疑問や違和感から作品を作るきっかけみたいなものを得ているのかもしれないです」と山田さんは続けます。
「それはニュースを見ていて、どうして世界はこう動いていくんだろう、というような大きな違和感の時もあるし、『女の人だけ脱毛するのってなんでだろう』みたいな身近な疑問の時もある。いちいち立ち止まって考え込んでしまうのは大変だし、人にはオススメできない生き方ですけどね(笑)」

「憧れて、やってみて 飽きてもいい。山田由梨の思考」grinウェブサイト
(https://grinweb.jp/feature/0002/)

で、そんな、一見「意識高めな」テーマの作品なのだけど、どこか爽やかだったり、癒し系だったり、コミカルだったりキュートだったりと、意識の高さの割にとっつきやすいテイストでお届けしてくれるポイントが、私は好きだったりする。

特に、ABEMAオリジナルドラマ『17.3 about a sex』が私は大好きで。

(どう考えても作品のメインターゲットではない)アラサーのときにこれを観たけれど、面白かったし、勉強になったし、でも説教くさくなくてさわやかで、出てくる俳優さんたちがみんなキュートで、同世代にもティーンエージャーにも全力ですすめたい作品だった。なによりも高校生時代の自分に見せてあげたかった!
「こうでなければ」という苦しい思いから少し解放してもらえる感じがするのだ。

『作りたい女と食べたい女』も、(原作のある作品なので、山田さんの完全オリジナルというわけではないものの)上記作品に通じる、「意識高めだけどなんかとっつきやすい」雰囲気があるように感じる。

私はドラマオリジナルキャラクターの佐山さん(森田望智さん)が結構好きだ。佐山さんは主人公・野本さん(比嘉愛未さん)の同僚なのだが、サバサバしている風でいて優しいというか、受け止める範囲が自然体で広い。細かい話なのだが、野本さんと恋バナ(?)をしている際に、「あ、ちなみに私は男性が恋愛対象なんですけど」と前置きしてから自分の話を始めるという場面があった。多数派でいるんだけど、それを相手にとっても当然のものとせず断りを入れるというのは、自分とは違う立場の人の存在も無視していないというメッセージになっているように思う。

そして、このドラマで一番楽しいのは、やっぱり食べている春日さん(西野恵未さん)を観賞する時間だ。笑

『きのう何食べた?』のケンジは、無限の思いやりとシロさんへの愛とに裏打ちされた、(ちょっとやり過ぎではと思うくらいに)ディテールを描写する食レポが有名かつ人気だけど、春日さんの言動は、ある意味それとは正反対。
春日さんは、「いただきます」「おいしいです」「ありがとうございます」等の感謝やねぎらいの言葉は伝えるのだけど、それ以外はほとんど黙ったまま、ひたすら食事と向き合う。

言葉はないけれど、その食事を味わっていることや、なくなってしまうのが惜しいこと、たくさん食べられて幸せなことは、表情や動作が存分に語っている。その雄弁さは、それこそケンジにひけをとらないと私は思う。こんな感動の表現の仕方もあるんだなぁ。ある意味、言葉で伝えるよりずっと難しいぞこれ。

前作のシュトーレン風パウンドケーキの回で、ケーキを残り1切れしか食べられないと分かったとき、ひとくちのサイズが急にめちゃくちゃ小さくなったときはあまりのかわいらしさに笑ってしまった。味わいたいよね…。

野本さんに対し、明らかに途中から笑顔が増えている感じも、とてもいい。

あと、春日さんが、メイクやファッションにあまりこだわりがなさそうな飾らない感じでいてくれるのが私は嬉しい。私はどうしてもメイクやファッションにあまり興味が持てず大人になってしまったのだが、テレビドラマや映画に出てくる女性ってほとんどがすごくおしゃれか、おしゃれでない場合は、「おしゃれでない理由」みたいなのがあえて説明されている場合が多い気がするのだ。「取り立てて説明する必要はないんだけど、色々とある趣味・趣向のうちのひとつで、メイクやファッションに関心がない」という感じで自然にそこにあってもらえると、なんだか自分も肯定してもらえているような感じがする。

それにしても、特にシーズン2に入ってから、野本さんは春日さんを見つめすぎだと思う。笑 そんな熱っぽい目でジロジロ見ていたら、好意がバレてしまうよ、とツッコみたい。

それはそうと、自分が作ったものを他人に食べさせるというのは、よく考えたらすごい行為だと思う。
自分が生み出したものを、相手の身体に取り込んでもらうという、ちょっとグロテスクな行為でもあるかもしれない。
食べる側というのは、作った側に運命を握られているようなものだ。極端なことを言えば、料理に毒を入れることだってできる。究極的には、「自分が作ったものを相手が食べてくれた」というのは、「相手が自分を信用してくれた」ということなのかもしれない。だから他人に料理を食べさせるということは、その相手からの自分への全幅の信頼を感じ取れる行為だ。

それに、相手の生きるエネルギーの供給に直接的に貢献できる行為でもある。だから、自分が好意を持っている相手が自分の用意したものを食べているところを見ると、嬉しいし、癒されるのかもしれない。
自分のお腹が満たさるわけではないのに、わざわざエサを購入して動物園でエサやり体験をしたりするし(あと、後輩におごってたくさん食べてくれたりするとなんだか嬉しい、という気持ちも最近分かるようになってしまった……これは自重しないといけない。分かってはいるんです)。

「作る人」と「食べる人」だったら、「食べる人」の方がいい!という方が多数派な気がするし、私もできればそちらがいい笑
この考え方だけに基づくと、ついつい、野本さんに対して「(他人のためにごはんを作るなんて)偉いね」と声をかけそうになってしまうのだが、野本さんは野本さんで、食べてもらうことによる癒しを春日さんから得ているのだということを忘れないようにしたい。もちろん、前提には、野本さんが作りたいという思いを抱いていること、春日さんがそれにいつも感謝していること、それ以外の場面で春日さんも野本さんも互いに相手を思いやり、色々と行動しているということがあるのは、言うまでもないのだけれど。

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