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私にとっての「グリーフケア」=「荷物の持ち方を覚えること」

数年前に、父親を亡くした。
亡くしたことで、色々な気持ちを持つことになった。悲しい、さみしい、つらい、自己嫌悪・・・などなど。
私にとっては、死別の経験は、こういう色々な気持ちを「持っていく」ものだと思っている。

「悲しみを乗り越えて」という言葉をよく聞くけれど、「乗り越える」だと、乗り越えた後には何も残らず、以前とまるっきり同じ自分でいられるようなイメージを受ける。

でも、そういうことは難しいと思う。

私にとって、死別を経験して持った気持ちは、大きくて大きくて持ちにくくて仕方ない荷物のようなものだった。
最初は持ち上げ方も分からず、途方に暮れた。

だけど、ありがたいことに、その荷物を一緒に持ってくれた人がいた。
荷物の持ち方のコツを教えてくれた人がいた。
荷物を持つのに疲れた私を、笑わせて元気づけてくれた人がいた。

そうこうしているうちに、少しずつ、私はその荷物を上手に持てるようになっていった。
知らず知らずのうちに、筋力もついていたのかもしれない。

今も、時々疲れることはあるけれど、荷物を抱えながらの人生を歩くことこそが、自分の人生なのだと思えるようになっている。

荷物を目の前にして途方に暮れていた頃の自分に会えたら、
「大丈夫。そのうち上手に持てるようになるよ」と言ってあげたい。

「事故や災害ではなく、お別れの時間がちゃんとあっただけいいじゃない」
「大往生だったのだから」
「ペットでしょう(芸能人でしょう)。家族が生きているのだから、いいじゃない」
「悲しいのはあなただけじゃないよ」
悪気のない色々な言葉が、荷物をより重く感じさせることだってある。
でも、荷物の重さも、感じ方も、人それぞれ。自分にとって重い、持つのが大変だと思ったら、その思いを否定する必要は全然ないと思っている。


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