見出し画像

ドラマ『お別れホスピタル』:外から見ただけじゃ本当の気持ちは分からない、だけど・・・

ドラマ『お別れホスピタル』全4話をみた。
なんというかもう、壮絶で・・・毎回泣いてしまって、しかも、自分が泣いているのが、悲しくてなのか、心動かされてなのか、恐ろしくてなのかももはや分からなかったけれど、それでも毎回見続けてしまうような温かさもある、そんな感じの作品だった。

私が一番印象深かったのは、第2話「愛は残酷」の中で描かれていた、久田 勝さん(小林勝也さん)・今日子さん(高橋惠子さん)夫妻のエピソード。

今日子さんは、とても若い頃に勝さんから突然プロポーズされ、結婚。
以降、勝さんが快適に過ごせることを第一に生活を送ってきた。勝さんも、自分の快適さのために今日子さんが色々としてくれるのが当然で、それこそが今日子さんの幸せと信じて疑わない。
そんな中、勝さんの介護が始まって、今日子さんは自分が夫のことを不満に思っていたこと、夫のことを好きではなかったことに気付いてしまう。
そして、最期を迎える勝さんの耳元で、今日子さんは、「これでもういいでしょう、早く逝ってください」と伝える……というもの。

おそらくは勝さんと主人公の看護師・辺見歩(岸井ゆきのさん)にしか聞こえなかったようなその言葉が発されたのと同じタイミングで、夫妻の娘は父を慕う言葉を叫び、心から泣いているというコントラストがすさまじく残酷だった。

当初、2人はとても仲良しな夫婦に見えており、実際夫妻の娘もそう思っている。
プロポーズの言葉「君じゃないと駄目なんだ」は、それだけ聞くと、とても甘いエピソード、いい話のようにも聞こえる。だけど、生活の内実と妻の心は・・・という。

辺見から見た久田夫妻が一見仲良し夫婦に見えたように、
他人の気持ちを想像しようと思ったら、その人の言動やこれまでのその人の置かれた環境などから、推し量るしかない。でも、その根拠となる材料はあくまで、自分から見える範囲に限ったことだ。自分から見える範囲というのはその人のごく一部に過ぎなくて、だから、私が予想する「あなたの気持ち」は、ときにとんでもなく的外れのこともある。

じゃあ、他人の気持ちを考えるなんて、いっそやめてしまった方が良いんだろうか?
他人と関わるなんて基本、めんどくさいし。


『お別れホスピタル』で描かれる病室は、4人部屋が多かった。
入院時の同室の人というのは、不思議な存在だと思う。
赤の他人でありながら、1日を同じ空間で過ごし、お見舞いの様子から、相手の家族関係や友人関係も垣間見ることができる。
処置の時には間仕切りのカーテンが引かれ、視線は遮られるけれど、逆に言えばたったそれだけしか、自分を隠してくれるものはない。
相手や自分がいついなくなるか、その理由は退院なのか亡くなることなのか、過去も未来も知りようがない。
ただ断片的な情報から、なんとなく知り得る他人。
『お別れホスピタル』では、入院患者やその家族どうしもなんとなく連帯が生まれたり、複雑な感情を抱いたり、羨ましがったり心配したりと、なにかと気にかける様子が描かれていた。

こんな風に断片的な情報だけから相手のことを知り得るのは、実は普通の人生で巡り合う人たちであっても同じことかもしれない。ついついそれを忘れて、すっかり相手のことを知っているつもりでいるけれど。

そもそも、他人の気持ちを想像してみようと思う動機、スタート地点は、その相手のことを理解したい、力になりたいという思いやりだったんじゃないだろうか。
想像力はときに的外れで、他人をないがしろにしてしまうリスクも持っているけれど、これは思いやりから生まれた副作用であったとしたら。
なんだかとても切ない。

自分にできることと言えば、「自分の想像力には限界がある」と自覚しておくことなのかもしれないと思った。

最終回の中盤、やり切れない患者の死に、「理不尽だ…」と言いながらも、辺見はパンを、医師の広野(松山ケンイチさん)はおにぎりを、それぞれにひたむきに食べるシーンが、なんとも良かった。

自分の想像力がどれだけ乏しくても自分や相手のことがイヤになっても、やりきれなくても、とにかくまあ食べて、生きていく。
今度、コーラで焼き鳥、食べてみよう。串から外さないでそのまま食らいつきながら。

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

おすすめ名作ドラマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?