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教わって、教えて、気がついたこと

習い事

どうも山影です。
津軽三味線奏者でもあり、横浜市の青葉区で教室もやっています。
いわゆる、習い事というものです。
教室では生徒さんに弾き方もそうですけど、何より楽しさを第一に伝えていこうと日々努力を重ねています。
教室を本格的に始めて2年になるのですけど、習い事について、キーボードをこうして打っているんです。
こども目線で思うこと、大人で始めた習い事のあらゆる疑問。津軽三味線でなくとも感じる指導者側としての思い。それらをちょっと考えてもらえると、習っている側、指導者側としての考えが少しでも寄り添っていけたらと思いで綴っていこうと思います。

なんか違うなと思った時

あれだけ憧れていて、やってみたい!と思っていた気持ちはビックリするくらいとある理由でグングン短期間で下がってきます。
中々上達できなかったり、自分よりも他の方が上手く弾いているように見えてしまったりするところからの自己否定なんです。
上手くできないと、とある感情が湧いてきます。それはさまざまですけれど、筆頭に上げるのであれば、
「始めるのが遅すぎた」
「練習する時間が無い」
「センスがない」
「そもそも向いてなかったのでは」

キリがない負の感情です。これはもう仕方のない話で誰もが思うことなんです。
練習も思うように出来ないままレッスンへ行って、先生に伝えるとき、
「すいません。練習していません」
ということを何故か言ってしまう。そのうち、してこなかった理由まで考えてしまう。遅刻の理由みたいなものです。
ですが、先生というのは練習してこなかったというのは言わなくてもわかることで、次はどうやって前を向いてもらえるかを考えています。
僕で言うならば、レッスンは失敗する場所と伝えていて、その時の気分で色々なことを生徒さんに試してもらっています。
今のところ上手くいっていますけれど、むしろ経験させてもらっているのは、僕ら指導者側なんです。なので、謝る必要なんてないですし、負の感情を持たせないようにするのが指導者の務めだと考えて実行しています。

中にはスパルタな先生もいるかと思います。
音大受験やら何やらの話だと、ちょっと指導は違うと思います。けれど、叩き上げが合う人、合わない人は必ず存在しています。なんか違うなと思った時は、
「なんか急に辞めるの悪いな」とか思わずに、直ぐにやめましょう。気持ちが病みます。チェンジしちゃいましょう。指導者はいっぱい居ます。

想像は無料です

楽器を購入する。これが一番、争いが絶えない事柄です。
津軽三味線は高価ということは既に知られていて、◯の桁が違うとよく言われます。正直、一式を揃えるのに100000円かかります。それを弾きこなすためにレッスンに通う。月10000円強。家族会議が始まります^^;
それも説得に成功し、いざ始めた時出費に関することを払拭するには、
「楽しいという事を確実に伝える」という事なんです。
そして、応援してもらえるようにするにはどうしたら良いかを考えます。
「上手くなるしか手は無い」んですよね。その為に頑張る姿を見せるのが一番だったりします。大人の場合。
聞き分けの良い奥さんもいると思いますけどね。その中で自分の最初のファンになってもらうことを目指すのが一番ですよね。
「俺のファン第一号、奥さんだから」かっこ良いと思いますよ。

逆にお子さんに習い事させている場合。もちろん応援をするのでしょうけど、その際にあなたにお金をかけている。なんてことをいうのはちょっとやめた方が良いと思います。
子どもに金銭的なことを伝えるというのは、逆効果です。もし子どもに良かれと思っているのでしたら、子どもの気持ちに沿った考え方をしてほしいと思います。
親が言って始めさせたものは、親も責任を伴います。だからといって、誰それちゃんはこうしているとか、競争をさせず、自由な考えを伸ばしてあげる事がとても大事なんです。

想像してみて欲しいのです。
自宅で音楽が流れていたり、ゲームでも子どもが上手くなったりしていたら。家族でワイワイ出来たり、教えあったり出来ますし、習字もそろばん?もです。
サッカーや野球などスポーツ全般全て、家族や友人との交流にもなるんです。

習い事はあらゆる世界への可能性は広がるものであって、世界を狭めるものでは無いはずなんです。

それこそ塾へ通って、受験に合格するというものでもそうです。
叶うことはとても喜びに繋がります。
喜びって、気持ちが快になるのでもっともっとという気持ちが働くんです。
それを手伝うという事ができたら、親としてこんなに嬉しいことはないと思うのは僕だけですかね?

自分たちも子どもと成長できるということを常に考えてあげるということがとても大事です。

私たちは良い学校に行くことができなかった。だから子どもたちには、良いところへと思う気持ちはあるでしょう。
自分たちがやらなかったことは未知数。いろんな想像が働きます。だから自分たちも子供と一緒に勉強する、考える。そして導いてあげる。
そこに否定というものを言葉にすると、子どもたちは敏感に反応します。

大人の世界でも、MBAの資格取りたい。弁護士になりたい。留学したい。
それを誰かに伝えると、それは難しいよね、時間はお金はどうする?という負のことを言われることはまずあります。
やってみなければわからないことを、さも預言者かのように語る人は日本人には多いと思います。
それって、他人から見ると「出る杭は打たれる」的なものだったり、「和を以って貴しとなす」的な、「みんなと一緒でいいじゃん」的な考えに近いんじゃないか?と思っています。
やりたい人の気持ちを削ぐような行為はあまり好まれる物では無いのですけど、この日本では意外と通用しちゃうものです。
「君のことを思って言っているんだよ」
本当ですかね?
どこかで諦めたりするのって、もったいなく無いですか。自分の人生ズカズカ勝手に入られるのって、嫌じゃないですか。

好きなことを思うようにする

これはものすごく羨ましいと思う人もいると思います。
思う人はきっとやれない、できないと思っているのだと思います。
金銭的なことや、自分の立場だのなんだの。
習い事なんてしていて良いよな、余裕があって。
とか思われいるのではないか?と怖気付いたりしていません?
けれど実際はそれほど人は周りのことを考えていないんです。
自身の無さだったり、どこかで止めて欲しいと思ったり。
上手くいかない時は誰しもあって、そこでストップをかけているのは意外と自分自身であったりします。
評価が欲しいと思ってしまうのは誰にだってあります。当たり前ですよね。
僕は津軽三味線を通じて、様々な経験をさせてもらったし、それを生徒さんに伝えて、より良い人生を送ってもらえるように伝えています。

良いビジョンが見えるような世界。
それを様々な人たちと繋がっていけたらなと思って、今日も三味線弾いてます。







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