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何の痕跡も残さず、去ってしまうこと   「note退会について」

 つい最近、急にフォロワーの人が一人減った。あ、そうか、もうはずしたくなったんだな、と思って、自分もフォローしていたので確認したら、そこにもいなかった。あれ、と思って、「ホーム」を確認したら、その人の投稿した記事が、過去のものまで、全部なくなっていた。

 はっきりと分からないけれど、その人のしてくれた「スキ」まで消えてしまっていたのかもしれない。

 たぶん、noteを退会してしまったのだろう。
 今、フォローする人も、フォローしてくれる人も、一桁の段階だから、そうやって、細かく気がつけたのだと思う。
 ただ、こんなに何の痕跡も残さず、去ってしまうことになるんだ、と思った。


 noteを始めて、まだ2ヶ月たらずに過ぎないが、始めて、まだ数日しかたっていない頃、初めてフォローしてくれた人だった。かなりたくさんのフォローもしていたし、フォロワーもいたから、私にフォローしてくれたのは、そんなに重い決断でもないのだろうけど、でも、うれしかったし、最初にフォローしてくれたから、こちらもフォローをした。 SNS自体を利用したのが、生まれて初めてのことだったから、それは、確かにつながりを感じられることだった。

 投稿数が多い人で、毎日、複数回、短めの、素直な文章が生まれ続けていた。
 どうやら、このコロナ禍が始まってから、noteを始めた人のようで、不安も、喜びも、正直に書かれていて、それは、外出も減っている自分にとっても、確かにそこに生きている人がいる感触があり、読むのは、楽しみになっていた。
 こちらのnoteにも「スキ」をしてくれることもあり、私も読んで、正直さに感心し「スキ」をしたりした。

 何日か、まったく「スキ」をしてくれない時は、どう書いたらいいのだろう、と悩みそうになって、だけど、自分が好きで書き始めて、書きたいように書く、ということを改めて思い出した。それは、意識しすぎたら、こびることになり、逆に失礼だから、と思えたからだった。

 ある期間、といっても1週間たらずだけど、急に何の投稿もない日が続いた。
 こんな時節だから、大丈夫だろうか、と勝手に心配もして、日曜日になって、投稿が復活した時は、やっぱり安心もした。この状況への疲れで、平日は投稿する気力がない、ということだった。

 それから、どうやら自宅待機か、自宅での仕事に突入したようで、再び、毎日、複数回、正直な文章を見ることができた。

 つい最近、余裕が出てきたのか、逆にちょっと投げやりになってきたのか、私には分からなかったが、「大喜利」のような投稿が続いて、そして、急にいなくなった。
 こんな気持ちになること自体が、暗黙のルールを破ることになるのかも、と思いながらも、やっぱり寂しい気持ちになった。

 もっと大勢の人とフォローしたり、フォローされたり、というような人たちは、やはりそういう変化には気がつきにくいのかもしれないし、こういう風に、そのたびに寂しいなどと思わなくなるのだろうか。そして、自分もこれから先にもっと多くの人とつながるようになったら、こんな風に思うこともなくなるのだろうか。

 こちらから一方的に思っていただけかもしれないが、ここまで2ヶ月近く、会話しているような気持ちになっていたことを、いなくなって、改めて気がついた。

 寒かった4月が去ったら、次はやけに気温の高い5月になった。今日もいい天気だった


 note登録者であれば、ページ の右上に、三角のようなベルのマークがあって、そこにいろいろな通知が来る。その中に「スキ」の記録が残っていて、そこには、「スキ」してくれた人たちのプロフィール画像が並んでいる。
 まったく痕跡がなくなったと思ったら、そこに見慣れたはずのプロフィール画像が残っていた。すでになつかしさまで感じるが、クリックしても、「お探しのページは見つかりません」と、note 404美術館が表示されるだけだった。



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noteを始めてから、1ヶ月が過ぎて、感じたこと、考えたこと、変わったこと。

初めて投稿して、初めて「スキ」してもらって、感じたこと、考えたこと、思い出したこと。

すごく天気がいいのに、街がまた変わって、ちょっと恐い感じがしました。2020.4.14


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