雑食のすすめ。

食べ物の話ではなく生きていく姿勢、ライフスタイルのようなものとして、雑食でいいじゃないか!というお話です。

私たちはしばしば、
「一つのことを極めなさい」「あれこれ寄り道してたら時間が無駄だよ」「目移りする奴なんてロクなもんじゃない」なんてことを人から言われ、
あっちにふらふら、こっちにふらふらするような生き方はあまり肯定されていない価値観を押し付けられることがあります。

確かに「一つのことを極める」ということは人生においてとても価値のあることですし、私自身もゆくゆくはそうなりたいです。
しかし、私のようなふらふら人間を含め、まだその「一つのこと」を見定めることができていない人も少なからずいるはずです。
そんな人たちに「いいから早く決めろよ!」と言わんばかりにふらふらすることを認めてくれないような価値観を押し付けられても困るわけです。

また、近年はこの国も経済的な勢いを無くしてしまい、裕福な家庭の子でもなければそう簡単にモラトリアムを延長し続けることはできません。
金銭的な余裕は最たるものですが、気持ち的な余裕、物理的な余裕など余裕がなければそもそも悠長に考えを巡らせている時間はない、ぐらいに考えたほうがいいのかもしれません。

大体の人は高校から大学に進学するときに、将来のことを考えて学部や学科を決めるし、就活の時期になって自己分析をしてどんな仕事が向いているのか、やりたいのかを考えますよね。

そのときに答えが出なかったり、他の原因があったりして進学や就職のタイミングを間違えた、あるいは進学や就職先がすさまじく自分に合わず間違った選択をしてしまう人もいるでしょう。

私もその1人ですw
「あああああああああ失敗した!!なんでこんなことになってしまったんだあああああああああああgwertyuisdfghjふじこkhoiffj」って感じで発狂しそうになったこともあります。今働いている会社も割りと失敗して入ってしまったので今でもときどき上述のように叫びそうになっています。

それはさておき、失敗も決して悪いものではありません。失敗したからこそ、その原因を真剣に考えることができるからです。
明らかに失敗したな、と思えるからこそ、ひどいダメージを受けたからこそ、それを回避する方法を導き出そうとするんですね。

こうして失敗や成功を繰り返して人は徐々に自分だけの価値観、判断基準を創り上げることができるのです。

とはいえ、大失敗ばかり繰り返していたら心がボロボロになっちゃうよお〜〜、と心配になるでしょう。
だからこそ、若いうちの価値観が完成しきっていない時期こそ「雑食」がおすすめなのです。

「雑食」というのは「つまみぐい」という言い方でもいいですね。ちょっと気になったものがあったら、軽く手を伸ばしてみる。
味見程度なので、がっつりのめり込もうと気負う必要はありません。手を伸ばしかけてやっぱり違うな、と思ったらその手をひっこめて別の方に伸ばすのも全然オーケーです。

最終的に何かを極めたいと考える上で、大事なのは「行動し続けること」だと私は思っています。
だって動かないでチャンスの方から寄ってくるわけがないですよね?他人任せで自分は全然動かない人ってウザいですしなんかムカつきませんか?

だから、雑食=つまみぐいで、いろいろな体験をして、いろいろなことを知って、いろいろな人と出会って影響を受けまくってどんどん自分自身を変化させていきましょう。そうすることできっと選択肢の幅は広がるので、答え=極めたいと思うこと、自分自身にしかできないことにたどり着くことができます。

決めたいけど決められない。いい加減に決めてしまったらきっと後悔してしまう。かといって何もしないでも時間は過ぎて年をとっていくばかり・・・ジレンマを抱えて辛い思いをしている人たち、一緒に頑張りましょう!
実家に帰るとついついつまみぐいをしてしまう、さんしちでしたー

もちろんお酒代にさせていただきます!ありがとうございます!!