歳差運動3-①

それから2週間が過ぎたある朝。

いつものように気だるく出勤して職員室の自分の机に辿り着くと、薄ピンク色のクリアファイルが無造作に置いてあるのに気がついた。

いつも机上の整理整頓を欠かさずに退勤しているから自分のものではない何かが置かれていれば無意識でも気づくことができる。しかも無造作に、つまり机上の位置関係を気にせずに置かれていたのだから曲がったことが大嫌いな俺のストレスホルモンを刺激するには十分であった。明らかに誰かの意図を感じる置き方のように思えた。

早速中身を吟味した。クリップで止めたたった2枚のA4用紙が入っていた。

斜め読みしただけで研修会参加の案内だと判った。と同時に何とも言えぬ違和感を感じた。

ここ2,3年は全員参加の半強制的研修会以外には参加していないと記憶していた。自分で希望もしていないが行かせてもらっていないというのが正解だろう。

研修会などの出張については各職員の校務分掌担当や出張頻度、経験等を考慮しながらバランスよく教頭が計画し、最終判断として校長が出張命令を出すことになっている。  俺が何年も個別の出張に行っていないのは管理職の考えが反映されているにほかならない。

教頭は、種田には研修会などに行かせる必要がないと踏んでいる。種田はもうすぐ年季奉公が満了してお払い箱になる年齢だから研修など積ませてもしょうが無いという論理である。

それに対して校長は、経験を積んできた種田に行かせるよりもこれから前途のある若手教員に行かせ研鑽を積ませた方がためになるという考えだ。

だから、俺が出張に行かせてもらえない事実は同じだが、その理由の根拠が教頭と校長では違っているということだ。

いずれにしても、この学校にあっては俺などは眼中に置かれてはいない。       まあ、その方が気楽でいいのだが…

それが唐突に出張とは?

文書の出張者欄に種田という教頭直筆の殴り書きを見た瞬間、アイツの悪意ある意図を感じ取った。

陰謀か策略か?

早速、職員室前のプランターの草花に水掛をしていた教頭に詰め寄った。

「教頭先生…ワタシ、出張にイクンデスカ?」

とわざと素っ頓狂なトーンで言った。

すると教頭は急角度で体をこちらに向け、手にしていた水掛用のホースの先に付いているノズルを俺の方に向けた…ように見えた。

ノズルの先端が一瞬銃口に見え、思わず仰け反った。                だがすぐに体勢を立て直すことができた。その銃口からたとえ弾が発射されたとしても、弱々しく大きな放物線を描いて俺の足元手前数十センチのところに落ちるだろうとイメージされたからだ。

「ああ、校長命令だから…」

敵もさるもの、全く感情を出さず素っ気なくこたえた。

「何で私なんですか?」

とささやかな抵抗を示した。

何か罠でも仕組んだのかよというメッセージを込めた言葉が、行間が読めない教頭にはピンとこなかったようだ。

「講師の海老原先生に行ってもらおうとしたのだが…校長が種田クンにって…」

だろうよ…教頭が出張者の欄に俺の名前を書くはずはない、間違っても…       当然、校長の差し金だ。

しかしどうしてまたよりによって研修内容が道徳なんだい。

普段から真面目に道徳の授業をしていない俺に対する当てつけだろうか?       それともこの前の職員会議で混乱を巻き起こした俺にお灸をすえるつもりか?     人として教師として人間性、道徳性を磨いてこい!というメッセージなのか?

まあ人間性はともかく、人間としての深みは若手よりはあるはずだと俺は思っている。 それに、文科省でも道徳を教科化にして強化しているから…なんてシャレにならないが、道徳を学ばせるならこれから先の長い若手教員に行かせるべきだろう。


~続く