歳差運動3-⑩

言ってはみたが、果たして自分はどれだけ多くの人間と関わっているのだろうか…   学校では仕事以外では他の先生と話さない、家に帰れば“風呂・飯・寝る”の三語しか発しない、たまに行くジムでは黙々とベルトコンベアに載っているだけ、地域のボランティアは忙しいからとキャンセルする…     自分が言った言葉が自分に返ってくるブローバック、ミサイルが熱感知して自分を襲ってくるような…そんな気分になった。

予定時刻よりも話し合いが早く終わり、残りは雑談とした。意外と、フォーマルな話し合いより雑談の方が意義深くためになる場合がある。堅苦しい話し合いを経て互いの心のひだが取れ、本音が言いやすくなるからだ。

俺も若手教師の本音トークの輪に入っていった…                 

市街地にあるマンモス校からきたという長身のイケメン先生は、教育委員会から出向してきた校長の運営方針が厳しいと愚痴をこぼしていた。月に一度は校内の授業研究で道徳をやることになっていて、授業後に校長から指導を受けるという。俺は、その校長はおそらく学者肌で先生の動向しか見ていないから、授業で先生は黒子に徹して目立たずに子どもが前面に出るよう授業展開の工夫をするといいよ、とアドバイスしておいた。     また、一戸建ての高級住宅街にある学校からきた若い女の先生は、担任している子の母親から言葉遣いや服装や車の車種まで細かく執拗にチェックされていて辟易しているという。おそらくその母親は、先生の若さや健康美に嫉妬しているだけだから、美容アドバイザーになったつもりで丁寧に話を聞いてあげ、趣味や身に付けている物などについて褒めてあげるといいよ、と話した。     さらに、絵に描いたような真面目さが漂う男の先生は、道徳の時間に教えようとする価値を子どもに押しつけているようで罪悪感があると悩んでいた。俺は、大人には本音と建前の使い分けがあることを子どもでさえも感覚的にわかっているから、それとこれは別ものと切り離して普通に生活すればいい、そのかわり休み時間には本気で子どもと遊んでやるといいよ、と話してやった……

終了予定時刻になり、グループ協議は散会となった。

最後に、

「ありがとうございました。またよろしくお願いします」

とあいさつしたが、互いの勤務地を考えると一緒に仕事をする可能性は限りなく0%に近いだろう。それに俺は研修会に行かせてもらえないし、そのうちお払い箱になってしまう。

今の気持ちは、終わってほっとしたというより、満足感とか充実感と表現した方が適切かもしれない。久しぶりの教員研修に参加して新鮮な気持ちを味わうことができた。   話し合いに付き合ってくれた若者たちに素直に感謝したい。

ところで…丸くて滑らかな石たちに俺は引っかき傷、いや、よい痕跡を残すことができただろうか?              徐々に薄らいでいくだろうけれども、綺麗な模様を刻むことができただろうか?

そう思いながら会場の外に出た。

~続く