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猫舌幽霊

うちの母方のばあちゃんは、ヤバいばあちゃんだった。

どうヤバいかというと、『自分には神仏が降りてくる』と信じてる方向のヤバさだった。 

ばあちゃんはうちから歩いて2分の場所にじいちゃんと住んでいた。私は学校帰りによく二人の家に遊びに行ったものだ。

私が二十歳の頃、ある日ばあちゃんは突然こう言った。「お不動様が、宝くじを買いなさいと言うてはる!」

私は(またばあちゃんの妄想が始まったぞ・・・)と思ったのだったが、万一ということもあり得る。もしかしたら本当に宝くじを買ったら当たる・・・・そんなこともあるのかもしれない。そう思って私はばあちゃんの言う通り、宝くじを数枚買ってきた。

後日、当選結果を確認したらハズレだった。数字はかすってもいなかった。


ばあちゃんの霊感は当たらない。

ばあちゃんは自身の願望を「神仏の御言葉」だと家族に言う。ばあちゃん本人は本気でそう思っているのか、嘘だと自覚しているのか、もしくはその両方か。

おそらくその時は「宝くじが当たると良いなー!」と思ったのだろう。それなら「宝くじが欲しいから買ってきて!」と言えばいいのに、「お不動様が宝くじを買いなさいと言っている」などとばあちゃんはうそぶくのだ。

もしかするとばあちゃんは「お金がほしい」とストレートに言うのが恥ずかしかっただけなのかもしれない。

こんな屈折したばあちゃんだから、このようなことは日常茶飯事だった。「神仏が、幽霊が」と言っては親族を振り回すヤバいばあちゃん。幸いばあちゃんがこんなことを言うのは親族に対してだけだったが、当の親族もみんな困惑していた。


でも私はなぜかばあちゃんが好きだった。ばあちゃんは子供だった私にいつも不思議な話を聞かせてくれた。

狐に化かされた村人の話、ばあちゃんが山で修行していたときに憑いてきたカエルのお化けの話、お稲荷さんが夢に出てきた話。ちょっと怖くて面白い話をたくさん聞かせてくれた。


ばあちゃんは夜空を見上げて満月を見つめるたび、そこにうさぎを見る人だった。月のうさぎが餅つきをしている。本気でそう信じているような人だった。

ばあちゃんは神仏を深く崇敬していた。宗派や宗教にはこだわらず、ただただどこかに人間を見守る偉大ななにかがおられることを素朴に、そしてかたく信じていた。

ばあちゃんは毎日、朝晩欠かさず仏壇に手を合わせた。先祖へ感謝をし、親族の幸せを祈り、無縁仏への温かい供養の念仏を唱えた。それは毎日、ばあちゃんが老衰で寝たきりになるまで続けられた。

毎日、仏壇に熱いお茶と温かいご飯をお供えして、ばあちゃんはいつもこう仏壇に声を掛けるのだ。

「みなさんどうぞ、熱いので、お気をつけてお上がりください。」

ばあちゃんの決まり文句のそのセリフは、いつしか私に染み付いた。

ばあちゃんの霊感は当たらないが、しかしその毎日欠かさず行われる素朴な儀式は、なにかとても尊いもののように私には見えたのだった。


そして私は知っている。

ばあちゃんの霊感は、親族の命に関わる時は、ちゃんと当たっていたことを。


二十数年前のこと、私の父が仕事帰りに行方がわからなくなったことがあった。この知らせを聞いたばあちゃん、いつもと違う神妙な顔つきでうちの家にやって来ると、仏壇の前に厳かに座り手を合わせた。そしてたちまち神がかりになった口調で母に言った。

「そなたの夫はまだ車の中におる。病気で死にかけてはいるが、まだ息がある。すぐ探しに行くがよい!!急げ!!」

伯父の車に乗った母は、家から30分走った街中にある駐車場で父の車を見つけ出した。母の直感が導く方へと車をどんどん走らせ、やがて夜空の月明かりが一瞬照らしたところに父の車が停まっているのが見えたそうだ。父はばあちゃんの言った通り、車の中で瀕死の状態で見つかり、かろうじて一命を取り留めた。


ばあちゃんの霊感はまるで当てにならないのに、この時ばかりはまっすぐ私たちを導いた。あの時のばあちゃんは、神様が降りてきたかのように力強く見えたのだった。


ばあちゃんはまるで親族の守り神のようだった。ちょっと迷惑なところもある、面白い守り神だ…


迷惑したといえば、いつも一緒にいたじいちゃんはばあちゃんに迷惑していたかもしれない。

じいちゃんが若い頃ちょっと女遊びをしたことがあった。いわゆる『赤線』というのに行ったらしい。ところが家に帰るとばあちゃんから、「あんた、赤線行ったやろ!視えたからわかってるんやで!!」とめちゃくちゃ怒られたそうだ。

いつも当たらない霊感がこんなことは当たるんだから、じいちゃんもさぞ肝が冷えたことだろう。


でもそんなじいちゃんも、ばあちゃんのことが大好きだった。自分が癌になった時も、自分のことよりばあちゃんのことばかり心配していた。


ばあちゃんは愛されていた。


私もばあちゃんが大好きだった。

よく外れる不思議な霊能力で私たち親族をしょっちゅう振り回して、時には守ってくれたばあちゃん。

今は天国でみんなを見守ってくれていると思う。

生前ばあちゃんは何度も私にこう言った。

「仏壇には温かいお茶をお供えせんといかん。あの世に行った魂はどこにでも行けるから、水は川にでも行けばいくらでも飲める。せやけど、お茶は誰かが煎れてあげんと飲まれへんからな」

そして必ず最後にこう付け加えた。

「温かいお茶をお供えする時は、『熱いので、やけどしませんように』と言うのを忘れたらアカン。幽霊がやけどするかもしれへんから…」

今夜、私は温かいお茶をばあちゃんの遺影にお供えした。たっぷり生姜と砂糖を入れて、ジンジャールイボスティーにしてみた。飲むと全身がポカポカしてくる。天国のばあちゃんも喜ぶに違いない。


ばあちゃんの笑顔の遺影に向かって、忘れずにあの言葉を言っておいた。


「ばあちゃん、熱いからやけどせんようにね」


そう言って私は、生前のばあちゃんが極度の猫舌だったことを思い出した。


猫舌のばあちゃんはいま、猫舌の幽霊になったのだ。



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