だめだったパターンの記録

現在私は休職している。
とある時期から、朝仕事に行くのが凄く無理で、起きた瞬間からとんでもない絶望感に襲われて、遅刻の連絡をするまでベッドから出られない日が出てきたり、なんなら連絡すら出来ずに欠勤する時もあった。当然お咎めを受けた。
でも内心、どんだけ怒られても私が悪いのか?という開き直りがあるくらい、この体調不良については外部に原因があると自分の価値観では思わずに居られなかった。

元々繁忙期の残業の多さ、業務内容の理不尽さや非効率なやり方に対する不満、睡眠不足や集中力の欠如によるミスなんかが重なって謎の嘔吐感やストレス球、趣味への意欲減退、寝付きの悪さなどは働き始めてほんの数年で起きていた。
最近業務内容が変わってそれらとは縁が切れた!と最初こそ喜んでいたものの、私の専門外の分野で成果を求められて、推しが引退したりして、色々と無理になってしまって、内心の慢性的な希死念慮だけでなく業務中に些細なことで涙が出るようになってしまって、「どう考えても限界だ!」と思ったので医療機関にかかった。
休職になった。

休み始めてから半月はとても体調不良が酷くて、特に慢性的な食いしばりによる肩こり、頭痛、それらを原因とした身体中の強ばりに悩まされた。抑うつ感も酷く毎日のように眠ってばかりいた。
投薬と「休みに慣れた」ことで現在はかなり良くなっている。逆に運動をしなさ過ぎて筋力が落ちてる節はある。
強ばりがストレス性のものだと知って以来、やっぱり例年に比べて負荷が大きかったのだなとしみじみ思った。

というのも、業務内容が変わるまでは比較的周りに毒を吐いて(愚痴のような役割)自分なりにストレスの発散が出来ていたり、周りと協力して乗り越えるぞ!という「自分が倒れても仲間が居るから大丈夫」と思える環境だったのだが、環境が変わってからはほとんど自分の代打が居ない状況での戦いを強いられた。

誰も私の悩みに共感してくれないし、私の代わりに作業を進められる人も居ないし、私が業務を共有する仲間はそもそも用意されてなかった。それでも、あなたがいちばん詳しいのだからと外部からは責任を求められる。辛かった。

私は決してその分野に対して専門的な勉強をした訳でもなく、娯楽として楽しんでいただけだったので、純粋に楽しめなくなったことが何より1番辛かった。

辛いことが多すぎて逃げたくて、手順を守って逃げるのは大変だから、とりあえず今すぐに死にたかった。
そういう省略語だったので今はきちんと逃げれている、ので死にたくなることは減った。投薬のおかげもあるが。
たまにものすごくダメな日はあるけど、そういう日は諦めてダラダラ寝ている。どんだけダメでもTwitter位はできる。のでTwitterで今日はダメな日だ〜って呻いてることが多い。不思議と見てくれてる人がいるだけで気が楽になるものだ。

最近は体調が回復したのもあり、改めて自分が辛かったこと、辛くなった原因、どうして休職しなければならないほど思い詰めてしまったか、を時々考えてみる時がある。
そういう時には決まって落ち込んだり夜な夜な泣いてしまうし、似たような内容のYoutubeを見てしまったりすると心が疲れる。
まだ受け入れきれるほど心に余裕が無いのが現状で、いつになったら快復といえるのかは分からない。

でも休職して気付いたことは、自分の視野はストレスによってぐんぐん狭まること、自由時間が無いのは精神をすり減らすこと、他人のために自分の身を捧げる必要は一切無いこと。見返りを求めて献身しても大体思い通りの報酬は無いこと。
頭ではわかっていても、一定ラインを越えて精神が疲れ切ってしまったら、こうやって長い休みを取らないと思い込みって解くことが出来ないんだなぁと実感している。

ので、仕事以外に自分が絶対的に最優先とする何かを確保しておくのは本当に大事で、最悪それがソシャゲでも無いよりはマシである。残業で帰りが遅くなっても、夜更かししてでもゲームをする、ゲームができない長時間残業を憎む、そんなもんでいい。
私は今回、例年と違って仕事に支障を出さないためにゲームを我慢して睡眠確保に努め、その結果病んでしまった。娯楽を控えたら仕事が人生の最優先になってしまって、心が納得しきれなくて、壊れた。そんな感じだと思う。

反省を活かして、というものでは無いが、これからはもう少し色んなことについて自分本位でもいいのかもなと思っているところ。基本すぐに人にいい顔しようと負担を買いに行ってしまうので、都合の悪い時くらいは断る勇気とかを勉強したらいいのかもしれない。

最近は全く業務とは関係の無い新たな趣味を楽しんでいて、これが自分の軸になったらなんていい休職期間だろう!と思いながら日々を過ごしている。まあすぐ飽きるかもしれないけれど。

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