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景色の見え方-ほぼポエム-


思い出や記憶の話です。

自分が見てきた景色は、私色に染められていてそれは時に自分の都合で、塗り替えられたりしているし、そもそも私は私の見ている景色の中に私を見る事はできない。

きっと、あなたと私が同じ景色を見ていたとして、あなたは私越しにその景色を見る事ができるけど、私は私越しでは見られず、あなた越しに見ることになる。

例えば、昔の友人と同じ出来事の思い出話をしていたとして、何か見え方が違ってくる。そう感じて、私は見ている景色を自分の主観や感情で、角度を変えながら物事を見ている事に気づきながらも思い出や記憶の曖昧さに悲しみを覚える。

私は思い出話が苦手だ。

10年以上会っていなかった学生時代の友人と集まる機会があった。あの頃は、あーだったね。とか、こんな事があったねとか、なんやかんやで話が弾む中で、私はその話についていけない。

見ている景色が違うわけだから。

そうなる事は初めからわかっていて、だから中学も、高校も、数年ごとに集まる同窓会には行かないようにしている。

そんな私も、とある節目と人のつながりを大切にし続けている友人のお陰で、あの頃は…と話してみたかった友達に会う事ができた。

勇気を出して話始める。
校庭でよく遊んだ事、楽しかった事、ずっと思い出に残ってた事。突然のように、そんな事もあったっけ?と、言われる。やっぱり、私のみている景色と記憶の保存は、人と少し違う場所にあるみたいです。

だけど、嬉しかった。それでいいと思えた。

またこうして話せる時間ができた事、お互いに大人になっていた事、話し方の特徴とか顔のパーツのほとんどは全く変わりがなかった事、人はそう簡単には全く別人にはなったりしないようだ。と、安心さえした。


景色の見え方はその人その人によって変わるもの。

今見ているこの景色は私だけのものだし、それは私の感情越しに見ている。

いつもの人混みが今日は何だか切なく見える。人それぞれストーリーを背負って歩いているように見えた。




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