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あのレストアされた日産シーマは何故初代モデルが手放せないのか?

女優伊藤かずえさんが愛用の日産シーマ初代モデルは1987東京モーターショーで参考出品されたセドリック/グロリアの上級バリエーションでした。名前の通り土台はY32系セドリック4drHTでホイールベースも室内もハードトップそのもの。

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しかしボディ外板は5ナンバー枠をはみ出してボリュームある柔らかな曲線に包まれた、一見するとジャガーの12気筒セダンを思わせるようなデザインに一新されていました。これは翌年そのままの形で市販化.同じ87年の東京ショーには、やはり市販化されるパイクカー=パオが参考出品されています。

このシーマの見どころはフェアレディZと同じ3リッターターボV6エンジンの強烈なパワーもさることながら、歴代シーマで唯一の4ドア・ハードトップを採用していたこと。これだけはさすがにトヨタの追随を許さず、日産が初採用した230系セドリックでは宿敵クラウンを販売合戦でリードした事が自慢でした。

これに味を占めたのか日産はローレルにもブルーバードにも、スカイラインGTにまで4ドアHTを用意します。これはさすがにトヨタも放っては置けなかったのでしょうか?85年、流面形セリカ160系の兄弟車としてトヨタ初の4ドアHTボディにカリーナEDの名前を与えてシリーズに追加します。販売店、エンジン以外にカリーナと共通項は無く実態はセリカの4ドア.でしたがこれが大ヒットします。

それまではトヨタの4ドアHTにはセンターピラーがしっかり残されており、窓ガラスの枠をサッシュレスとしただけの、見かけのハードトップでクレスタもマークⅡもクラウンもお茶を濁していた感がありました。しかしカリーナEDは本物のHT、売れ行きも明らかに違いました。

結局トヨタの4ドアHTはこのEDだけで終わりますが、カローラ/スプリンターにもセレス/マリノという見た目4ドアHTが一世代だけ加わり、若い女子オーナーには人気のカローラとなりました。

当然他のメーカーもこれに倣いマツダはカペラの上級版にペルソナと名付けた新車種を投入します。凝っていたのはリアシートでドアを閉めるとファミリアで好評だったラウンジシートの様な空間が出現する、と言うものでしたが決して魅力あるデザインとは受け取られなかった様で、早々にカルトカーの仲間入り。三菱ギャランの兄弟車シグマ(1989〜)/ディアマンテもセンターピラーを省くことは出来ませんでした。

さて4ドアHTの流行にもやがて衰退が訪れます。と言うか側方衝突基準が厳しくなるにつれてセンターピラーレスの車体構造が生き延びる事を許され無かったと言うべきでしょうか。セドリックもローレルもY33、C34と言ったモデルからは元のトヨタ同様、センターピラーを隠し持った車体となりました。シーマも二代目モデルではグッとクラシカルな装いでプレスドアの太い窓枠を持った骨太のデザインに趣旨替えしてしまいます。はっきり言うと女子には不似合いな塊感と思えます。シーマの軽快さはむしろセドリックのスポーティーバージョンのグランツーリスモに受け継がれたと見るべきでしょうか。でも最大の変化は、もうバブル経済が崩壊した事でした。

カリーナEDにはコロナEXIVと言う双子車も生まれる人気ぶりでしたが、やはりセンターピラーなしでは側突リスクに応えられなかった様で、セレス\マリノが流れていた生産ラインからはカローラスパシオと言う三列シートのワゴンが送り出される様になりました。

4ドアHTのブームは90年代中頃には自然消滅し、入れ替わる様にオデッセイやワゴンRを核としたミニバンが日本の自動車マーケットを席巻してゆく事になります。


シーマの名前も、バブル期の象徴の様な存在からやがて、バッジを替えただけの兄弟車の一つとして埋もれてしまい、省みられる事も稀になってしまいました。

日産のショールームを33年ぶりに飾る事になった初代シーマは稀に見る幸せな時代に産み落とされ、これからまた恵まれた年月を重ねようとしている、とてもレアな存在と言えるかも知れません。

参考までに伊藤家でシーマの簡単な板金塗装を手伝った父親は元日産社員だった、と聞いて納得です。



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