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「よそ者」の方が、地域に対し真剣問題

最近、東京の企業の方とお話することがよくある。
コロナでみんなリモートワーク。
ネットでの打ち合わせが身近になったことにより、地方にいる自分はかえって遠方との距離が近くなった感覚だ。

私は現在、ふるさと納税関連の事業に関わっているので、所謂「地方を元気に!」をミッションとして掲げる方々と関わることが多い。
彼らの意見は的確で鋭い。時には返答に詰まってしまうほどの鋭さ。
その奥にはミッション、つまり「地方を元気に!」への真摯さと温かさがある。

これは正直、私たち地元民の中では中々感じることのできない感覚だ。
なぜ「よそ者」であるはずの彼らにこそ熱意を感じてしまうのか。
それはシンプルに彼らの方が、地方に散在する課題に真剣に向き合っているからだろう。

地方には、少なくとも私の周囲には、どこか「他人事」感が蔓延している。
私の関わるふるさと納税もまさにそうである。
ほとんどの自治体はビジョンも目標もなしに業務の中枢を外部企業に丸投げ。返礼品を提供する事業者も「ネットのことはよくわからん」といって、これまた最も肝心な部分を外部に丸投げ。

もちろん、一部頑張っている地域も事業者もいる。
ただあくまで一部であり、誰が言ったわけでもないが、「誰かがどうにかしてくれるだろう」という雰囲気が地方には蔓延っているように感じる。

なぜこのような逆転現象とも呼べることが起こるのか。
こう言うと元も子もないかもしれないが、事業・課題を自分事として捉えられる人材が都心に集中しているからという要因は外せないだろう。

自身の熱意をぶつけられる環境が既にあるからこそ、都心に熱意のある人が集中する。
地方にはその環境を積極的に選択しなかった人が集いがちになる。
こんなシンプルな話でもないとは思うが、この側面は大きいように思える。

良く言えば大らかさ、そしてシビアな世界から離れた(ように見えるだけだが)空間が所謂田舎の、地方の魅力の一つではあるかもしれない。
ただ事業を為すにあたってはシビアな側面から目を背けることはできない。
それは共通のはずである。

「地方」を自身の経験と結びつけてしまうところが私の筋の悪さだと重々理解している。ただ私の周囲で発生していることは、とても限定的なことのようには思えない。
何より「自分のことは自分で考える」。小学生で習った誰でも知っていることを実践できていないのは、一個人としてはどうしても情けなく感じてしまう。

周囲に散在する課題も当事者が自分事として、もう少し頑張れば解決できるようなものも多いと思う。
私も地方に生きる者として「自分のことは自分で考え」て、これら解決の為に行動してきたつもりだ。
ただ「よそ者」である彼らの熱意に触れ、改めて自身の至らなさを感じてしまった。


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