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第5節 純粋理性にもとづく認識はどうして可能か

命題は、分析的命題(何も新しいことを言わない)と綜合的命題(何か新しいことを言う)に分けられる。
分析的命題は概念にとくに新しいものをつけ加えず、もとの概念と矛盾さえしなければそれでいいので、つねに可能である。
経験は概念にもともと含まれるものではないことを考えると、経験にもとづく綜合的命題も、つねに可能である。
ということは、問題は経験にもとづかない(=ア・プリオリな)綜合的命題である。

じつをいうと、ア・プリオリな綜合的命題は可能であることはすでに証明されている。ア・プリオリな綜合的命題をつくりだす学問である、数学と自然科学が確立されていることが、その証明である。
というわけで、ア・プリオリな綜合的命題はじっさい可能ではある。そこまではいいとして、問題は、可能であるかどうかではなく、どういう根拠のもとに可能になっているのか、ということである。根拠がわかれば、同じくア・プリオリな綜合的命題をつくりだす学問である形而上学が可能であることも、同じ要領で証明できるかもしれない。ただし、同じ要領で、というのがじっさい可能かどうかは別途証明が必要ではある。

というわけで、話を順に進めるとすると、次の4つの問題にまとめられる。
 1 純粋数学はいかにして可能か
 2 純粋自然科学はいかにして可能か
 3 形而上学一般はいかにして可能か
 4 学としての形而上学はいかにして可能か

というわけで第6節からが、本論となる。




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