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人生100年時代、教師を辞めても大丈夫?:④発症5・6ヶ月目2023年11・12月の様子

この記事を選んでいただき ありがとうございます。

日頃は 30年ほど小学校の教員として勤務してきた経験から
子育てのヒントになることや旅のことなどを投稿しています。
よかったら のぞいてみてください。



2024年3月末で 退職しました。

そしてフリーランスを 目指しています。

そこで #転職体験記  を 綴ってみたいとおもいます。

なお この記事は 体験記の続編になっています。

興味のある方は 下のリンクからのぞいてみてください。




それでは本題に入ります。


10月の末 妻の母親が 目の手術をすることになったので

久しぶりに 実家に 10日ほど泊まりがけで 行きました。

妻の父親が ほとんど何も 家事ができなかったからです。


夫婦2人と 妻の父親の 3人の生活を送りながら

妻の母親の退院を 心待ちにしていました。


11月の初めに 妻の母親が退院しました。

3人の生活が ギクシャクしていた原因が

妻の母親の 父親に対する姿でわかりました。


父親のすること 食べることなど すべてが

母親の お世話で成り立っていることがわかったんです。


普段の食事の仕方や 時間などがちがい

きっと父親も 困っていたんだろうなと おもいました。


妻「(父の世話について)早く言ってくれれば よかったのに。」

母「あなたたちが 困るだろうから。」

遠慮していたようでした。


コロナ禍で 長い間 会うことができていなかったことも

原因のひとつだろうと 感じました。


ただ 久しぶりに 4人そろって過ごしながら

昔の かんを とりもどし その後は楽しく過ごしました。


コロナ禍に 亡くなった 義弟の妻とも 久しぶりに再開し

義弟のことや お互いの子どものことを話し

以前のように 楽しく笑い合えた時間は 貴重なものとなりました。


また 地元を離れ 知り合いもほとんどいない地で過ごせたので

心が落ち着き 療養する身にとっては ありがたい日々でもありました。



帰宅した次の日 3月末まで休養を続けるために必要な

診断書をもらうために 受診しました。

いつもいく クリニックに行った後 

他の病院を紹介してもらい 受診しました。

そこでも これまでの経緯を話し 診断書を書いてもらいました。

そして 2通の診断書を 職場に郵送しました。

制度上仕方がないことなのでしょうが なぜ2通診断書がいるのか 

腑に落ちない感じが 心に残りました。


職場から診断書が届いたとのメールがきたので

職場に残している私物を取りに行きたいことを伝えました。

突然 職場に行けなくなって 4ヶ月

日々の生活で 使いたいものが あったからです。


所属長は「置いててもいいよ。また復帰するときに大変だから。」と

言ってくれたのですが 「使いたいものがあるので。」と伝えたところ

12月末の 職員がいない休日を設定してくれました。

ありがたい配慮に ホッとしました。感謝です。


11月末から 娘が 本格的に 自動車学校に通いはじめました。

就職を前に 娘が自動車の免許を取るのかと 成長を感じました。

12月末まで 送り迎えの日々が続きました。


自動車学校の駐車場で待っているときに 以前通っていた職場(学校)の

下校中の 子どもたちの様子を 目にするようになりました。


低学年の下校が始まったんだな。

荷物が多くて大変そうだな。

あんなところに座り込んで 何してるのかな。

高学年の子が 荷物を持ってあげてる 優しいな。


微笑ましくみている自分に気づき

やっぱり子どもが 好きなんだなと

あらためて感じ うれしくなりました。


12月末 いよいよ私物を 職場に取りに行く日になりました。

所属長だけで 職員がいないとはいうものの

久しぶりに職場に向かうので 心中はおだやかではありませんでした。


私物の多くは 特別教室に置いていました。

そこで 所属長に会いました。

発症後 会うのは 初めてでした。

心身のことを 親身になって心配し やさしく言葉をかけてくれました。

張りつめていた緊張感も和らぎ 

落ち着いて荷物を整理することができました。


作業後に もう一度会い 今後のことで 

何か考えていることがあるのか 聞かれました。

きっと 人事のことで 気になるのだろうと おもいました。

ある程度 はっきりとしたことがわからないと

所属長として 困るのだろうとも おもいました。

今後どういう状況になるかわからないが

今年度末で 退職するつもりであることを 話しました。

少し驚いた表情で 退職後の生活の心配をしてくれました。

娘の就職が決まったことや 

この年で退職することは 以前からの考えであることを伝えました。

その気持ちがあるのであれば 今後の動きについて

問い合わせてみると 言ってくれました。


ずっと気になっていた 私物を受け取れたこと

伝えるかどうか迷っていた 退職について言えたことで

きもちが すっきりしました。


しばらくして 職場からメールが届きました。

退職のことを 教育委員会に問い合わせたところ

・1月の中頃には 手続きの書類が上がっていた方がよい
・手続きの時期で 退職金の額が変わること
・長く勤めている場合は 特に金額が大きく変わること

とのことでした。


すぐに クリニックに連絡し 1月の初めに

受診日を変更してもらいました。




今回は ここまでです。


11月は 久しぶりに 妻の両親との生活を送る中で

以前を振り返ったり 新しい刺激を受けたりしました。

12月は 発症以来初めて 職場にいくことになり

緊張しましたが 無事に乗り越えることができました。


次回は 次の月からのことについて 綴ってみたいとおもいます。




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