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人生100年時代、教師を辞めても大丈夫?:⑤発症7・8ヶ月目2024年1・2月の様子

この記事を選んでいただき ありがとうございます。

日頃は 30年ほど小学校の教員として勤務してきた経験から
子育てのヒントになることや旅のことなどを投稿しています。
よかったら のぞいてみてください。



2024年3月末で 退職しました。

そしてフリーランスを 目指しています。

そこで #転職体験記  を 綴ってみたいとおもいます。

なお この記事は 体験記の続編になっています。

興味のある方は 下のリンクからのぞいてみてください。




それでは本題に入ります。


1月初め 

退職の書類を1月中旬までに

提出する必要があるため 受診しました。


3月末での退職は 医師からは反対されていました。

初診後 3ヶ月ほど経った日に 退職のことを話しました。

「あなたの歳では もったいないから・・・」と言われました。


退職後の生活資金について 心配されているんだとおもいました。

地方公務員である教員は 収入が安定していると 広く知られています。

退職までは あと10年あります。

職場復帰を めざしてもいいのではないかという 感じでした。


ただ 55歳からは 昇給は ありません。

それだけが理由で 退職したいわけでは ありませんが

日々の生活に対して 疑問もあったし 夢もありました。

理由に 興味がある方は こちらを ご覧ください。


医師には その日以降 退職のことについて

話したことはありませんでした。

だから 退職届を出す前に

医師に 退職のことを説明したかったので受診しました。

「あなたの人生のことだから」と 理解してもらえました。


職場に あらためて退職を申し出ました。

すぐに 必要書類が郵送されてきました。


これが退職届というものか

この1枚の書類で これまでの仕事が終わってしまうのか


不思議な気持ちで 記入して郵送しました。

こころが 少し 楽になりました。


ただ この退職届は 合計4回提出することとなりました。

名前が違ったり 日付が違ったり 理由が違ったり・・・

なかなか 簡単に退職はできないものだと おもいました。


退職届も出したし 生活にも変化がほしいと noteを始めました。

詳しく知りたい方は こちらを ご覧ください。

今まで あまり アウトプットは しなかったので 新鮮な感じでした。


久しぶりに 大好きな沖縄へ 旅行に行こうと 

計画をたて 予約もしました。

その日を 心待ちにしていました。



2月初旬のある日 

父親の様子がおかしいとのことで 1階に降りてみました。

意識はあるものの 様子がおかしいので 

かかりつけの病院に電話をしました。

定期検診の日でもあったため すぐに連れてくるように言われました。


しかし 立ち上がれないし 動けません。

大人3人でも 動かせないほどの 脱力状態でした。

救急車を呼びました。


それまで 安定した生活を送っていたため

原因もわからず 不安なきもちでした。


病院で インフルエンザ陽性という結果がでて 入院しました。

これで落ち着くと おもいましたが 

3時間くらい後に 容態急変の連絡が入りました。


脈がどんどん遅くなり 危険な状態とのことでした。

原因は わからないとのことでした。

大きな病院に 救急搬送することになりました。


病院では インフルエンザ陽性のため 

付き添いの母親とは別室で待つことになりました。

状況がわからないため 不安な待ち時間を過ごしました。


どれくらいの時間がたったのか よく覚えていませんが

医療関係者のみなさんのおかげで 容態は持ち直しました。

インフルエンザは陰性とわかり 原因もはっきりしました。


ホッと しました。


入院し しばらくは ICUに入ることになりました。


旅行は キャンセルすることにしました。



それからは 週に1度 病院を訪れ 

説明を聞いたり 面会したりしました。


また 病院からは 状況について報告の電話報告までしてくれました。

医療関係のみなさんに 感謝いたします。 ありがとうございます。


ただ その度ごとに 何を言われるのかと 恐れながら対応していました。


今振り返ると その度ごとに 状況は良くなっていたのですが 

不安で 落ち着かない日々でした。


母親と病院に行ったり いろんな場所に 車で送迎したり

たいへんな日々でしたが

療養中なので じゅうぶんに対応することができました。

「家族のために時間を使いたい」という 1つの願いが叶いました。


母親からは 付き添ってくれて ありがたいと言われました。

3月以降どうするのかとも 聞かれました。

どちらかというと 仕事に戻ってほしくない感じがしました。


ここで初めて 療養中であることを 母親に話しました。

「もう じゅうぶんやったよ。 (やめて)いいよ。」と言ってくれました。

「これで 夜も眠れる・・・」とも言いました。


今後の生活を考える中で きっと不安だったのだろうと おもいました。






今回は ここまでです。

1月は 退職届を出したことで きもちも すっきりし

新しい生活について 考えたり 動き出したりすることができました。

2月は 父親の入院生活が始まり 緊張感のある日々でしたが

家族の関係性が深まる 貴重な体験ともなりました。

次回は 次の月からのことについて 綴ってみたいとおもいます。




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