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尾道一人旅(その後)

尾道での一人旅を終えて東京に戻ってきて、建ち並ぶ高層マンションや綺麗に並んだ建物を見て悲しくなっている。すぐに慣れてこの風景が日常になってしまうことも含めて悲しい。慣れは怖い。尾道ではほとんどマスクを外した生活をしていたから、マスクが息苦しい。

旅って非日常だから、どうしてもその土地を特別に感じてしまう部分はやっぱりある。初めて訪れたときにしか見えないことや感じないこともあるだろうし、言ってしまえばそこまで大した出会いではないものを、大袈裟に感じている部分もあると思う。でもそれが旅の良さでもあると思うし、そういう旅での「嬉しい」「楽しい」という気持ちの高揚と「寂しい」「悲しい」という普段の生活に対する憂鬱という、相反する感情すら楽しみたい。旅から帰る新幹線の中で、余韻に浸りながらその感覚をヒシヒシと感じていた。感情が揺さぶられると「生きている」感じがする。何もない毎日よりも、こういう感覚を大切にしたい。

尾道の一人旅は「楽しい」「嬉しい」気持ちは勿論あったけれど、それと同時に寂しさも感じた。

私は今まで、ずっと居場所を探しながら生きている気がする。「ここじゃない」という感覚が常にある。中高生の頃の部活でも大学のサークルでもアルバイト先でも今の就職先でも。個人的に親しい人はいるけれど、決まったコミュニティで長く親しくできたことがない。

だからこそ、尾道の人たちのコミュニティを目の当たりにするたびに、そこに住む人たちのつながりを感じるたびに、寂しい気持ちになった。この人たちの居場所はここにあるんだ、と思った。勿論、沢山いるであろう移住者の人たちに、とけ込むまでそれなりの苦労だったり努力だったりがあることはわかる。これは旅で一度だけ訪れた部外者の私が感じた勝手な感情である。普段の生活で人とそこまで密に関わりたくない人にとっては、東京くらい冷めた環境の方がいいだろうから、どちらがいいとは一概に言えないのだけど。既に出来上がっているコミュニティに少し足を踏み入れて、私は勝手に寂しい気持ちになった。ただ、入れ替わりが激しいとも聞いたので、尾道の人たちにもある種の寂しさはあるのだと思う。

劣等感という言葉が私のこの気持ちを上手く表しているのかわからないけれど、この旅で寂しさと同じくらい感じたものが、劣等感(のようなもの)。引け目というか、自分の嫌な部分をものすごく実感した。

勿論全ての人ではないと思うけれど、私が出会った尾道の人たちは、自分のやりたいことや得意なことを仕事にしている気がした。自分の作品を作ったり、喫茶店を出したり、居酒屋を始めたり。自分のやりたいことを、尾道という自分が選んだ地でやっている人たち。強くて逞しくて、本当に素敵だ。何かを作り出す人たちはすごく魅力的で、キラキラしている。ただ尊敬すると同時に感じたのは、そんな風にはなれない自分への嫌悪感。

そう思うのなら、好きなことや得意なことを極める、あるいは仕事や趣味、自分と他人とを割り切ればいいのに、そこまでの気概もなければ割り切ることもできない、どっちつかずで中途半端な、傲慢な人間である。

昔からずっと、自分には何かできると思い込んでいた。自己愛が強いくせに自信がなく、他人を尊敬しても見習おうとする素直さもなく、そういう中途半端な自分が大嫌いで、でも幸せになることを諦められない。そういう自分を目の前に突きつけられて、お前には何もないんだと思い知らされた気がした。

深く考えずにその場の勢いや気分で行動して良いことも勿論あったし、今までは正反対な生き方をしていたから「スキップして生きてる感じがする」と人に言われたときも、自分は変われたんだと思って嬉しくなったりしていた。でも完全にそっち側の人間には結局なれていないのだ。何者かになれるということを諦めきれなくて「今が楽しければいい」という考えにも完全にはなりきれない。

見た目を褒められることは少なくないし、褒められると素直に嬉しいけれど、それと同時に自分の人間性との対比に悲しくなってしまう。「見た目も中身も中途半端だよお前は」と誰かに言われている気がする。好きだと人に伝えられても、ある程度の見た目だから一時的にそう思っているだけだとしか思えない。中途半端な見た目のせいで、などと思ってしまう。贅沢な悩みである。

こう書き起こしていくと、今回の旅があまり良くなかったように思えるかもしれないけれど、そんなことは決してない。今までも自分の心のうちに抱えていたものが露呈しただけにすぎない。現に今も私は旅の余韻に浸っているし、旅が終わったことへの寂しさが強くある。段々と記憶が薄れていってしまうことも含めて、とても寂しい。尾道の人たちからすると私はただの一観光客に過ぎないからこそ、我儘なお願いだけれど、忘れてほしくない。

忘れることが怖い。忘れられることが怖い。慣れが怖い。生活が怖い。自分が嫌いで離れられなくて、常に絶望を抱えて生きていくしかない。だからこそ、また尾道を訪れたいという気持ちは、私の生活の中での光になる。やりたいことがあるということは、生活を続ける糧になる。自分を見つめ直す良い機会になったと思う。今こうして色々と感じて考えられていることが、なにより嬉しい。改めて、尾道の旅で出会った人たちに感謝したい。ありがとう。まだもう少しは生きられそうだ。

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